9月に入りました。8月は群馬から帰還したことに始まり、気づくとあっという間に一か月が経過していました。東京や四国から業務についてのお問い合わせがあったり、さらに先週は大分県のお仕事に関してのご相談があったりと本当に様々です。嬉しいことですね。
いつも想うことは、ここで慢心になってはだめだということです。謙虚で当たり前、奢っては先は見えずなのですね。今日も8年ぶりにお電話を下さったお客様を訪問すると、「何かあればあんたに相談しようと思っていたよ」とお話してくださいました。忘れないでいてくださったことに感謝です。
また、今日はある現実を目の当たりにしました。これから動き出すであろう業務について、事前打ち合わせと現地確認を行ってきたのですが、独居老人が孤独死に至ることの原因といいますか、そのような雰囲気を体感したのです。恐らく、今から数十年前はこの高齢者は自らの生業で将来を見据えて必死にお仕事をされていたはずです。
ところが、当時、自分や家族の将来像はこうなんだという確固たる思いでいたことが、社会が思いもよらぬほどの急変があったためか、将来の生活設計がいとも簡単に崩壊してしまったことが宅内の様子から垣間見ることができたのです。ご本人はやりきれなかったはずでしょう。しかし、世の中の動きは待ってはくれません。
その方の表情を見ると、どこか投げやり、でも寂しそうな雰囲気を醸し出しており、「もうなるようになれ・・・いつ死んでも構わない」といった感じでした。いわゆるセルフネグレクトのような状況とでもいえばよいでしょうか。たまたま、そこに介在していた介護事業所の皆さんの心温かな支えがあって、その方は将来への方向性を見定めたようでした。
歌手で樋口了一さんという方がいるのですが、その方の「手紙…親愛なる子供達へ…」という歌があります。その歌詞を読むと、人間の尊厳やノーマライゼーションという意味合いが含まれている感じがします。樋口さんは自分の子供達へあてた内容だと思うのですが、一人暮らしの高齢者がこれからどこかの施設等でお世話になるときに、関わってくださる方々に宛てた内容と解釈することもできるはずです。親子であれ他人であれ関係ないと思えたのです。凄く、まとまった歌詞ですから、機会があれば是非聴いて欲しい一曲です。
今週は、週末は札幌出張となります。行政書士の研修会と会議がありますが、それが終わると札幌での業務です。金曜日と土曜日です。土曜日はなんとか夕方までには函館に戻りたいところです。早朝から現場入りして出来ることを早急に進めてゆくことにします。札幌での各種業者様ともこれからご縁を持てるように積極的に活動してゆきます。
現地の同業者はじめ、人と人との連なりから素晴らしいご縁が築けるよう本気で頑張ります。合わせて、営業活動もしっかりと進めてきますよ。明日も朝から生前整理業務の打ち合わせです。