〜行政書士松田聡事務所からのお知らせ〜

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愚か


JUGEMテーマ:日記・一般










ここ最近、遠ざかっていたブログです。原点に立ち返り心を入れ換えてブログに向き合います。このブログを書き始めたそもそものきっかけを忘れてしまいかけていたことを反省しなければなりません。このブログがあったから、毎日、向き合ったから今があるといっても過言ではありません。





いわゆるSNSにのめり込み過ぎていた自分に反省です。SNSを否定するものではなく、自らの原点を放っておいた自分がいかに愚かだったかを認めざるを得なく、自己矛盾を起こしていたことに反省です。本当に自分が嫌になるくらいの向き合いです。忙しさにかまけてしまい、それを言い訳にしてきたここ最近の自分のやり方に自戒しなければなりません。





行政書士というお仕事をさせていただき、多くのお客様に支えられてこられたことに心から感謝しなければなりません。自分自身の最近の心境は喜怒哀楽が激しくなっていたことに気づかされています。喜怒哀楽は、喜び楽しみという「快感」と怒る哀しむという「不快感」のどちらかしか無いことを今さらながら思い知ったのです。





きっと、ストレスはその両極端な感情のやり取りがストレスを増幅させているのかもしれません。その中間点である「快」でも「不快」でもない部分が案外ストレスフリーな状態かもしれません。その状態に自分を移動させることでもしかするとストレスも軽減されるのか?などと考えたりしています。だったら、早速、その中間点に位置させるための方法を自ら見つけ出さないなりませんね。





ところで、家族内で、何かを原因とした軋轢が生じた時、そこには「対」という文字が現れてきます。その「対」は、ともすれば喧嘩となり愚痴となり、いわゆる不快感の塊となり、それがエスカレートすると、様々な方向に矛先が向き、要らぬトラブルを起こしかねません。それこそが「不快」を次から次へと助長してしまうと思えてなりません。





たとえば、親子で何かしらの軋轢が生じたとき、時として、子供に対し「お前は親の言うことを聞いていればよい」なんてことをよく耳にするのですが、果たして、それはどうなのでしょう。親子は力関係でもなんでもありません。夫婦も同じこと、他人に対しても同じことが言えるのではないでしょうか。自分に相対するどんな人であっても、それぞれの人を尊重することが当然です。





見た目で人を判断するのはもっての外です。それは、自分の物差しを基準にしているからこその為せる業であり傲慢以外の何物でもありません。よく、人は自分の鏡と言われますが、相手が自分に対し嫌なこと不快なことがあったとしたら、それは自分が相手に対しても不快なことをしていると言っても良いはずです。





人生勝ち負けではありません。と、私は個人的に思っています。この世からいなくなってしまえばそれで終わりです。生き物に平等に与えられた生存活動は「死」でしょう。その平等に与えられた「死」を迎えるまでに、少しでも「快」でありたいと願うところですが、やはり中間点、換言すれば「平凡」に生きてゆくことこそが幸せなのかもしれません。そのためにも、先入観ではなく、一歩突っ込んで行動してみると自分の愚かさを知ることが出来、次へのステップになるはずと信じています。





久しぶりにブログをアップしますが、これからは原点に立ち返り、やらされではなく、やってゆきます。この積み重ねこそが大切なことでしょうね。



伝える難しさ

JUGEMテーマ:日記・一般
こんばんは。2月も中盤を迎えようとしています。一日が経つのは本当に速いものです。北海道新幹線もいよいよ来月開業となり、これまでの在来線を走行している特急を目にするのは時間の問題となりました。どこか寂しさを覚えます。鉄っちゃんの私としては、正直なところ、新幹線を利用する場面があるだろうかとさえ思えてしまいます。何故なら、新駅まで向かう時間を考えると今までと大差はありませんし、料金も場合によっては飛行機の方が安く済みそうな気がしています。やはり、1時間ちょっとで羽田に到着するのと、4時間をかけて東京に到着するのとでは時間的コストからして飛行機に乗ることになりそうです。

ところで、人に何かを伝えようとしても、これが、なかなか伝わらないことが多く感じるのは私だけでしょうか。きっと、伝える側の私に問題があるのでしょうが、どうすれば真意を伝えることができるのでしょう?と、常に葛藤しています。伝えられる側の聴く姿勢もあるのでしょうけれど、やはり、伝える側の伝達方法をよく考えないとならないでしょう。本当に悩んでしまいます。もっとも、聴く側が、すでに聴く以前から聞くの姿勢になり、さらに自分の中での考え方が凝り固まっていては、聴くどころではないのですが。

明日は、小学生5年生に向けて、「いじめ」についてのお話をしてきます。子供たちを惹きつけるにはどうしたらよいのかと、これもまたいつも悩みどころです。自分の経験からして、年々大人しく無関心、かつ無感動の子が増えているような気がしています。また、親の生年月日も知らず、親の名前すら正確に書けず、さらに、自分の住所すら知らない子がいることも事実なのです。自分の身を守るひとつとして、自分の住所、親の氏名、電話番号を最低限覚えておく必要があるでしょう。それが、算数ばかり得意でも、自分自身や身の回りのことを知らないのには閉口してしまいます。

私も三人娘の親ですが、果たして、子供たちに対し、常識的な躾をしてこれたのかと自問自答しています。
・勉強をしない・・・どうして勉強が必要なのか説明できず・・・挙句の果てに、点数を取らないとダメ!あるいは、誰々ちゃんに負けてどうするの!や、トップ10番以内に入らないと(その理屈説明できず)
・朝起きてこない・・・先生、うちの子供が朝起きれないのですが、代わりに起こしてくれませんか?・・・親が解決できないことを他人が介入したとしても焼け石に水
・朝食を食べていない・・・お母さんが寝ているからとは子供の弁・・・親はというと、朝弱いんですよね。・・・ひどいとお金をテーブルに載せているのにそれで食事を買ってこない
まあ、実際に耳にした話です。まだまだ、あります。きりがありません。だからこそ、こちらはお勉強になるのですが・・・

そういえば、そろそろ高校受験の時期を迎えます。自分が受験の時はどうだったかと、ふと思い出したのですが、試験前日に下見にはバスで往復しました。確か、その帰りのバスで、降車の際、運転手が何を勘違いしたのか、私が下りようとしたときに、ドアが閉まり頭を挟まれたのでした。(笑) その結果、翌日の受験に向けた勉強のほとんどが挟まれたことによって消失してしまったらどうしようなどと本気で考えていました。でも、本当に痛かったのですから。翌日は、同じ学校を受験する面々と同じバスに乗り込み、神妙な雰囲気で下車したことを覚えています。あれから、40年近くが経つのですね。どこか穏やかだった記憶があります。

近々、受験を迎える子供達にはこれまでの積み重ねてきた成果をしっかりと発揮して欲しいと願っています。これからの宝ですから。その宝を良くするもそうでなくするも、親次第でしょうね。これは、間違いないことだと断言します。もちろん、自分も反省しきりです。子供を親や大人の都合で振り回しては絶対にいけないことです。その結果、多くの尊い命が絶たれていることも事実ですから。さて、明日は本気で子供たちと向き合い、伝わるように努力し、一緒に楽しんできます。

頭の整理

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新年が明け、まだ半月にも関わらず、新年の余韻すら感じないのは気のせいでしょうか。すでに、申告準備に入りながらも、受注している業務を同時並行で進めているところでした。昨年の今頃はといえば、やはりお正月気分は皆無に等しかった気がします。
一年の進みは年々速さを増しているように思います。今年もあっという間に過ぎてゆくのでしょうね。

今日、事務所スタッフとの会話の中で、昨晩、テレビでアイドルの活動について放映されていたとのことです。話しを聞けば、結構ヤバいことを日常活動のほかに行っているようでした。アイドルの女の子(それも未成年者であることがありあり)がいわゆる下着姿?になり、お金を支払えば、写真撮影をさせ、それも要望に応じて様々な体位になるらしいのです。また、さらにお金を払えば身体の一部を揉ませるような行為もあるとかないとか。

そこまでしなければ売れないものなのでしょうね。芸能人ではありませんからその世界は未知の世界ですけれど。仮に、私が、彼女たちの親だとしたら、とてもとても許容できるようなことではありません。「風俗営業等の規制及び業務の適正化に関する法律」によく出てくる用語に、「性的射幸心を煽るような・・・」とあるのですが、間違いなくその用語にバッチリ当てはまるような気がします。果たして、未成年者、かつ、そのような営業行為からして、性的射幸心を煽らないことも無さそうですがいかがでしょうね。

これまでの常識としては、成人前にやっておかなければならぬことは、親の躾け、学校という教育機関などにおいて、しっかりとした教育を受けるべきところが、学校等を中退し、将来を夢見て上京し、ところが、思い描いていた世界とは程遠かったという図式も想定に難くありませんね。もっとも、親自身が送り出した子供が働いてくれ、そこで得た収入をあてにしているのであれば、別でしょうけれど。

なんだか、見えないことがたくさんありすぎです。息の長い芸能人の方々から感じることは、自力で物凄い努力をし、様々な酸いも甘いも経験されたところから、自分という存在をしっかりと見出しているのではないでしょうか。目の前にある大物歌手の方を目の当たりにしたときに感じたのは、オーラを感じたのは言うまでもありませんが、気取りがまったく無いのです。歪曲したプライドを微塵も感じることはなく、すごく親近感を抱いたのでした。

きっと、そこには、本人が本人自身でなければ分からない努力から裏打ちされた「根拠」がそこにはあるのでしょう。煌びやかな世界を醸し出す背景には目に見えない誰にも言わない血と汗を流したからこその煌びやかなのでしょう。一瞬、チヤホヤされその気になっていると、気づかぬ間に裸の王様然となるのは明白でしょう。チヤホヤこそほんの一瞬。自分自身のカラーをしっかり打ち出し、自分が自分をしっかりと許容することが重要でしょう。

表面は平身低頭であっても、中身が伴わなっていなければ、あっという間に化けの皮がはがれてしまいます。こちらでは「A」と言い、あちらでは「B」と言い、こちらとあちらを混乱させる輩もいるようです。そんなことに遭遇しないためにも、自分自身の中のコアそれも微動だにしないコアを養い育てることが必要でしょうね。それらのことをしっかりと肝に命じ日常生活、日常業務を遂行してゆかなければと自戒しています。

明日も、朝から来訪者がお見えになります。会社を作る方と打ち合わせます。函館市内をぐるぐると回ります。明後日は午後から東京入りです。頑張ろうっと。
 

気楽に頑張る!

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本当に久しぶりのブログです。ここ最近は、フェイスブックを中心にしていたものですから、ブログが疎かになってしまいました。
今年もあっという間に11月を迎え、気づけば12月を目の前に控えています。今年は年明けの元旦から仕事が入り、さらに二日も三日もといった毎日でした。これはこれで本当に有り難いことです。事務所も開業10周年を迎え、節目の一年でもありました。出会いがあり別れがあり、紆余曲折しつつも心温まることもあり、人生の縮図をこの一年間で過ごしてきたように思います。実際にまだまだこれからも色々なことがあるのですがね。

この世に生まれて51年、結婚して26年、親になって25年、爺になって3年、公務員20年、民間企業2年、個人事業10年・・・様々なことを年数に置き換えると色々なことが想い出されます。この中でも、個人事業の10年は長いようであっという間に今を迎えています。年齢を重ねるごとに一年の進み具合が速く感じるのを実感しています。そして、来年の今頃は生きていられるだろうか?や、来年も行政書士をしているだろうか?など、色々なことが頭の中を駆け巡っています。

せっかく生まれてきたのですから、何かに頼ることなく、さらに自由人で生きてゆこうと良い意味で開き直っています。やったもの勝ちではありませんが、来月下旬もまた違った趣向でイベントを開催します。一生一度きりの人生ですから、好きなことをやればよいわけで、何かに囚われることも無く、何かに左右されることも無く、自由に気ままに好きなことをやれば良いと心に決めています。ですから、来年の今頃は実際にどんな状況になっているかと思うとわくわくしてきます。

それも多くのお客様から多くの後押しがあり、さらに、心から信用できる何かを見つけられたからです。その何かはご想像にお任せしますが、自分の中の信ずるものの存在は大きいのであって、今年は、それを見つけられたのが良かったのです。これからもまだまだ色々なことを画策してゆきます。多くの子供達に夢や目標を与えられる存在になるには、不断の努力は不可避であってそれを目指し再び点火着火してくれた方がいたことも確かなことです。

ともかく、自分自身のコアをしっかりと認めたうえで、誰の力も借りず、誰に頼ることもなく、全身全霊で毎日を過ごさなければなりません。もちろん、時には大きな気分転換も必要ですが、実際のところ気分転換などする時間があるのなら、自分の当たり前になるよう努力せずにはいられません。今年は飲みに行く機会は五本指で足りています。それで良いのです。自分を奮い立たせなければ発信できませんし着信も出来ません。誰が何と言おうと本気で臨みます。来年の今頃は何をしているのかを目の前の目標として気楽に頑張ります。

きづこうよ

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今年も6月に入りました。つい先ほど帰宅したのですが、遅い時間にも関わらずお客様が快くお待ちくださっていることには本当に感謝しているのです。今日は午後1時過ぎから外勤に出たきり、事務所に戻ったのは午後10時頃、それまでの間はお客様を5件ほど訪問し、新規で数件のお仕事を受託し、また、ようやく完結を迎えることになった業務もありました。

また、今週末は千葉県は蘇我、東京は八王子と霞が関、横浜は磯子へ出張してきます。それに並行して時間があれば、新たな事業を模索すべく、ある事業所等を訪問してくる予定です。私の事務所も今年で10周年を迎えますが、いつも心に決めていることは、誰かに依存した仕事の仕方ではなく、自ら発想した仕事を構築してゆくことです。待ちは待ちで終わり、それ以上、進化はありません。

自らの発想こそが仕事を育んでゆくのでしょうが、旧態依然の変化もない仕事は、結局のところ目先のお金さえ手にすればそれで良しなのでしょう。そこには、成長もありませんし、面白味がないような気がします。そうです。今日あるお客様を訪問した際、「先生は仕事をする体型ですね。」と言われました。仕事をする体型?一体、どんな意味だろう。でも、自分の体形を自ら解析するに「いわゆるデブ」なのです。自分の標準体重よりも5キロも多いわけで、これで仕事をする体型と呼べるのかと自問自答していました。

自分の弱さが、食欲や嗜好に現れ、その結果が今の私なのでしょう。もっと、精神力を強め、誰が何と言おうと自分のコアは曲がることなく死ぬまで突き通すくらいの本気さが備わらなければと言い聞かせています。目の前で飛び降り自殺の一部始終を目撃した私ですが、そこから自分の人生観が変わり、いつ死ぬかもしれない生物がもつ運命を自覚させられ現在に至っています。

つい先日、娘の一人が入院し手術を受け、摘出されたものが悪さをするかどうかの瀬戸際に立たされました。しかし、それも娘の運命なわけで、親の私は神のみぞ知るの心境でした。その結果がどうであったとしても、その結果を真摯に受け留め、あとは娘の精神力に任せるよりなかったのです。冷たい親だと思われるでしょうが、親子であっても、一人はひとりですから、痛みを知ることが出来なければ、代わりに手術を受けることも出来ず、結局は娘自身のことを周囲から見守ることしか出来ません。

いくら医師に駆け寄ったとしても、どうなるわけではありません。今や、子供が職場に親が送っていくということを耳にします。その職場の方々は言葉には出さないものの冷ややかな目で見ているそうです。当然でしょう。そういう親に限って、社会人である子供がするべきことを親が代わってするような場面が必ず出てきます。たとえば、就職したばかりの時は職場という世界に馴染むまで時間を要するのですが、学生時代の延長と勘違いして「行きたくない」「面白くない」といった理由から職場を簡単に休むなど、そんな時に親が職場にお休みの連絡をするようなことが往々にして起きているようです。

私が就職したときは、送ってもらうなんてとんでもないことで、たとえ風邪を引いたとしても親が職場に電話をするなんて社会人としてはあり得ないことでした。それが、今の時代は変化しているのですね。仕事をするとはいったいどういうことなのか?それ自体を親が理解できていないのかもしれません。私も、経験があるのは、本来本人が書くべき文章を親が代わって書き上げてきたというものです。一瞬にして見破られるのを分かっちゃいないのか唖然としたものです。本当に子供が可哀そうです。そのことを親は全く分かっていないのですね。

これから先、どんな時代になるのでしょう。私自身も、自分を俯瞰して常に自問しながら反省すべきは反省し、果敢に進むべきことは進めてゆきます。さて、明日は8時にお客様を訪問し、その後、お取引先や同業の方が次々に来訪されます。午後は、調査と申請準備ですね。農地、風俗、建設も待っています。

 

俯瞰する

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今月も終盤を迎えようとしています。今月も色々なことがありました。それは、今も変わらずです。行政書士となりあと少しで10周年となるのですが、ふと、自分を俯瞰したとき、これで良かったのか?自分の言動はどうなのか?人の話しをしっかりと傾聴できていただろうか?これまでの仕事の仕方はどうだったのだろうか?などなど、反省しなければならぬことが山ほどあることを気づかされています。

お客様とお逢いすると、そこから様々なことを学ばされます。人のお話を傾聴するとは、実は、自分の感情はそこに存在してはならぬことを学んできました。人のことを判断するとは、実際のところ、100年も早いわけで、判断基準はあくまでも自分を基準とした物差しでしかないのです。私自身の仕事の仕方は、どうしても突っ込んでしまう傾向にあるのですが、それをいまさら変えるつもりはありません。何故なら、突っ込まないと中身が見えてこないからです。

きっと、自分も、誰かに話しを聴いて欲しいときは、突っ込んで欲しいという願望があるからでしょう。しかし、話せない現実もあります。話すけれども、本心を明かせないでいるのが本当でしょう。それを出してしまえば、きっと、人のお話を聴けなくなるからかもしれません。自分が若い頃に、相談を受ける役目として毎日のように様々な相談を受けていたのですが、受ける私が未熟であるために、自分の中で葛藤し悩み、終いには体に変調をきたしたこともあります。

私自身、人のお話を聴くとは、話しを聴きながら、聴いている自分を自ら俯瞰しながら聴くという姿勢を当たり前にしてゆかなければならないと、常に自分に言い聞かせながら相談を受けています。特に、私は、自分の価値観でお話しするとなると、ある意味無責任極まりないことになってしまう恐ろしさがあるからです。自分の感情は「無」に、自分の価値観は「無」にしていなければ、相談者の本質に迫れないはずです。

聖徳太子ではありませんが、たくさんの人が発した言葉を漏らさずに理解して、それらに対し、的確に答えたという伝説?がありますが、それは記憶力が良いのか、あるいは、本気で傾聴していたからなのかは分かりませんが、いずれにせよ、真剣に集中してお話を聴いていたからこそ、聞き分けることができたのでしょう。

視野も同じ気がします。様々な視覚情報を多く収集できれば、事故に遭うこともへるはずです。どんな些細なことでも見逃さない姿勢は磨き続けたいものです。どうしても、物事が円滑に進めば進むほど、謙虚さは失われ、奢りや傲慢さが知らず知らず現れてくる可能性があります。私も、今年が最後になるかもしれないと常々言い聞かせ、いつどうなっても良いように、それが普段の状態にまで気持ちを引き上げてゆければという願望があります。

常に俯瞰し、心で傾聴し、素早く見極めること。そのためにも、普段からどんなことでも構わないので、些細な変化にも気づけるような態勢が必要な気がしています。退化しつつある五感を今こそ際立てて活かさないとなりませんね。

根づくと地力

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ついに2月に入りました。今日は節分。帰宅すると「恵方巻き」が作られており、娘から今年の恵方は西南西との指導の下、恵方巻きを少しだけいただきました。
実は、先週末から体調を崩し、しばらく食欲が湧かずの毎日でした。ようやく今週に入り少しずつではありますが食べられるようになってきました。体は資本ですね。無理は禁物でしょう。インフルエンザでも風邪でもなかったので幸いでした。

ところで、すでに先々週になりますが、仕事のため関西方面と広島は尾道へ行ってきました。尾道へは半年ぶりくらいでしょうか。業務は早めに済ませ、少しでも滞在時間の合間を縫って、今後の業務のヒントがないかを探して歩きました。伊丹空港へ下りると函館と大差ない気温でした。バス移動で三宮へ向かい、そこから電車で移動。

街行く人の姿は、それこそ「闊歩」しており活気が漲っているような感じを受けました。しばらくぶりの神戸です。あの地震が発生してから20年となり、あれからずいぶんと街の姿が変わりました。あの震災の翌年から毎年神戸を訪れていたのですが、ここ3年位はブランクが空いてしまいました。年々パワーアップしている気がします。

業務を終え、淡路島まで小型船で渡り、戻りはバスで明石大橋を渡ってきました。淡路の船乗り場は昔と変わらずでした。神戸での活気と異なり静かな雰囲気でしたが、そこには昔からの「地力」が感じられました。滞在時間こそ数十分でしたが、淡路インターまでタクシー移動したときの運転手さんには短い時間にも関わらず色々と気遣っていただきました。どこかホッと心落ち着く瞬間でした。ゆったりとした時間の流れは、本当に心地よいものです。活気とゆったりのバランスを体感してきました。

翌日は新幹線で福山経由で新尾道まで向かい、そこからはレンタカーにて移動しました。天気は晴天かつ温暖な瀬戸内らしい気候でした。午前中の業務を終えて、夕方までの時間を有効活用し、しまなみ海道を走ってきました。そして、四国は今治市まで渡り、遅めの昼食を摂りました。四国ですからうどんで決まりです。創業100年の老舗うどん店へ行き、本場のうどんを堪能してきました。注文してから製麺してくれるのですが、実にコシがあって美味かったのです。つゆは関西以西の特徴である薄色のつゆですが、しっかりとダシが効いており後味も最高でした。

街中は人の姿は少なく感じたのですが、そのお店の店内に入ると地元客がびっしりと席を埋めていました。ここにも地力を感じたのです。うどんをいただきレジへ向かうと、さりげなく金属の四角い器があり、店主に聴くとおでんだというのです。その汁を見ると真っ黒い色をしており、塩辛そうに見えました。せかっくだから食べてみようと思い、厚揚げと牛筋を頂きました。

するとなんともいえない深みある旨みが舌の上でぽんと感じ取れました。聴けば、そのおでんの汁は40年間毎日継ぎ足してきたものだと言うのです。私なりの解釈は、毎日の積み重ねは角が取れて丸みが生まれ、紆余曲折があろうともとにかく積み重ねることが種蒔きとなり、地力を生み、根づいてゆく。そんなイメージを持ちました。もちろん、店主の笑顔は創業100年という奢りは微塵もありません。おでんの汁という家宝を大切にこれからも守るために今日も頑張っていらっしゃるのだろうと思います。

そんな貴重な体験をさせていただき、再び瀬戸内の島々を縫って尾道まで戻ってきました。瀬戸内の海や島々は夕陽に映え言葉で表現するのがもったいないくらいの美しさでした。夕方からは地元の仲間と情報交換に花を咲かせ、今後の業務の在り方や我々の対応等について話し合うことが出来ました。デジタル時代ではありますが、アナログという原点に回帰する必要性を実感し函館に戻ってきました。根づくと地力・・・今年のテーマですね。

私自身が時代錯誤なの・・・?

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今月もついに20日を迎えました。なんでこんなに速いのだろうと思うのは私だけでしょうか。そして、今のままでいいのだろうかと常に葛藤し続けています。やはり、自ら発想し、熟考し、行動する。それこそマニュアルなんてありゃしませんから。昨晩、仲間の女性との会話から「本来の◯◯を実践したいけれども、現実は程遠い」と言った内容のお話しを伺いました。

様々な制度や法律が出来上がったとしても、いわゆる完成形かというと、様々な弊害が生まれ、いわゆる格差をも助長している感は否めません。そもそもの人間社会とはなんだろう・・・なんだろ。いつものことながら、こうやってパソコンを打っている私自身をも否定しなければなりませんが、デジタル社会に至ったからこその弊害も方々で見受けられます。

いつの間にか、デジタルの仮想空間の中で、別な自分が創りだされというより、創りだし、その結果、そもそもの自分とは程遠い存在が独り歩きしているのは、もしかすると当たり前の状況に至ってしまったのかもしれません。そもそも、生存活動の中で、家族・友人知人・地域の人との、コミュニケーションを図る最大の手段として「会話」という行動があります。

ところが、その会話自体が面倒くさがられてしまい、結果、いつの間にか自分が孤立したと錯覚し、自分という存在を他人からどうしても認められたいという本能が別な手段によって光輝かせてしまうことが毎日のように事件として取り上げられているように思います。

その理由のひとつには、世の中が物で溢れ、便利すぎる時代であることの弊害です。また、今日もある仲間との会話から、「昔は、家庭で躾ることができないことを世の中が教え伝えてくれた気がしますね…」と言っていました。そのひとつの例として、以前は、自宅にお風呂が無かったというのが当たり前だったため、銭湯という公衆浴場へ小さなころから足を運び、そこから社会の常識を教えられたものです。

今も、公衆浴場はあるものの、私が幼少期に親や傍にいた大人から叱られたことが、今や非常識と化しているのだろうかとお風呂に入りながら葛藤して、スッキリさっぱりとはゆかぬことが多々あります。様々な公衆の場でいわゆる大人から教えを乞うたのですが、果たして今はというと悩ましい限りです。

どんな些細なことでも、会話を絶やさずに生活してゆきたいものです。また、相手を敬う気持ちは当たり前に持っていることが前提です。いくら、色々な資格を保有したとしても、資格だけが独り歩きしてはいけないことを今日も様々な場面から気づかされたのでした。やはり、感謝の念はどんな状況にあろうとも忘れてはならぬことです。さて、明日も朝からびっしりです。週末は遠く遠くへ飛んで行ってしまいますからね。頑張りましょう!

事務所にて

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今年もあと少しです。今日もいつもどおり朝から事務所に出て内業を進めておりました。なかなか思い通りに作業は進みません。また、今日もお仕事のご依頼がありました。先日の青いぽすとをご覧いただいた方々からのご依頼です。正直、疲れた体に鞭を打っている最近ですが、お客様からの励ましのお言葉を頂戴すると、途端に元気になってしまうものです。

事務所は、明年1月5日からの開始となりますが、早速、いくつかの手続きを同時並行で進めつつ、新規業務についても取り掛からなければなりません。お客様からの励ましに対し、しっかりとしたお仕事をさせて頂かなければと言い聞かせています。さて、今年一年を改めて振り返りますと、様々な方々にお会いできた一年でした。

事務所においても、新会社においても紆余曲折?する場面が幾度となくありました。一時は人間不信に陥りそうな出来事もありました。また、自分がこれまで生きてきた中で、出会ったことがないような貴重な方とも出会うことが出来、色々と学ばせていただきました。常識を覆す?ような生涯出会うことがない貴重な体験でした。

私自身、公務員生活が長かったものですから、一般民間企業のノウハウは全くと言って良いほどわかってはいません。民間企業が正なのか、公務員が正なのか、正否はつかないと考えるところですが、いずれにせよ、「人」が確実に存在しており、その中で経済活動もなにもかも進んでいることには違いありません。

どんなに御託を並べても、どんなに批評しようとも、やはり行動が伴わなければ結果は生まれて来やしません。例えば、私もいくつかの資格を保有しておりますが、資格を保有しただけでは、仕事にはなりません。その資格が持つ意味を吟味し、加えて、その資格がどのように発展してゆけるのかを想像し創造してゆかなければ宝の持ち腐れになってしまうこと必至でしょう。

これから、ある資格について登録手続きを進めてゆきますが、敢えてその具体的内容は公言しないでおこうと決めています。ある業務を受託した時に初めてご依頼者にお披露目しようと思っています。何故なら、広告等を用いてお知らせしたところで、こちら側の考え方の押し付けになりかねないからです。私のホームページをご覧いただいても、考え方の押し付けはいっさいしていないはずです。

そこには、ご依頼者がおり、様々な手続きの中で、業務を当方側のやり方に当てはめてしまうことは、我々の傲慢ではないかと考えてしまいます。当然、法律がありそれを根拠とした手続等を進めてゆくわけですが、こちら側の一方的な押し付けではお客様にとって迷惑極まりない気がしてなりません。

私は、行政書士というお仕事に対してのプライドと誇りをもって日々お仕事に向かっておりますが、別なプライドは一切無用です。傲慢さや奢りに似たようなプライドは一切要らないのです。このプライドは時には妄想に陥り、また別な時には自分しか見えていない状態となり、周囲の状況把握は一切できないようなことになってしまいます。

こんなことを何故言えるのか?私の若い頃がそうだったので分かるのです。自暴自棄に陥り、毎日、葛藤し、自分を責め続け、しまいには、誰かのせいにしなければやっていられないような感覚になってしまうのです。こんな書き方をすると、皆さん、「松田は大丈夫なのか?」と思われてしまいそうですが、全く大丈夫ですのでご心配なく。

当時は、職場のこともプライベートなこともいろいろなことが錯綜して、いわゆる混乱型に陥ったような気がしています。自分をよく見せよう。自分をよっこして誰かの批評や批判をする。そんな自分が嫌で嫌でたまりませんでした。自律神経失調症?的な体調変化もありました。病院へ行きましたが、当時のお医者さんは、薬を飲めば一時は楽になるけれど、出来れば飲ませたくはないなと言われ、薬には一切頼らずにこれまで生きてこれました。お医者さんには心から感謝しています。

そんな状況をどう乗り越えられたかと言えば、親からの叱責や励ましがあった故の結果だと思っています。恰好をつけるわけではありませんが、「愛」こそが人間にとって不可欠であると信じて止みません。昨日もある若者と恋愛について話す機会に恵まれました。恋愛は駆け引きではなく、本人の本性からあふれ出る相手に対する感情からの行動につきるような気がします。

誰かの手助けで恋愛をしようと思っても成就するはずなどありません。そんなことを聴いた記憶が蘇りましたね。そういえば…(笑) 自分自身が行動しなければ誰がするのだろうか。仮に、手助けされて成就したとしても長続きはしないでしょう。やはり、小さい頃の親からの愛情の受け方が大きく左右するかもしれません。この愛情とは決して過保護的意味合いではありません。

今年は、小さな子供達が親からの虐待を受けて、いくつもの尊い命が絶たれた稀な一年だったのではないでしょうか。子供が子供を育てているのかとどなたかが話していましたが、私も同感しつつも自戒して伺っていました。最近、気になることは少子化に加えて、誕生してくる子供達の男女比率が変化していることです。その原因のひとつとして食生活の変化もあるのではないでしょうか。

手作りの料理が薄れつつあり、出来合いの食材ばかりが食卓に上っていることは危険を感じてしまいます。どんな商品でもコストを下げ利益をいかに大きく上げてゆくのかが優先されており、そこには健康という言葉は微塵もないのではと思えてしまいます。私も、二人の孫がいて、彼らが成人を迎える頃を想像すると不安や危険という言葉しか湧いてきません。

今日は、仕事をしつつも一年を振り返り、そして来たる2015年以降を想像していました。様々な想いが頭の中を過ぎりました。少子と呼ばれる子供達が安心して生活できる環境づくりを、小さな小さな事務所内の脳タリン松田が模索していました。このままじゃヤバすぎます。本当にです。だから、来年もゴーイングマイウェイの姿勢を貫きたいと心に決めた所でした。誰がなんと言おうとも・・・

クリスマスプレゼント

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今年もついにクリスマスがやってきました。クリスマスと聞いて想い出すことは幼少期に両親というサンタさんから「ダイヤブロック」を買ってもらったことが一番に想い出されます。あのブロックはずっと家にあり、その後、色々な事情によりブロックともお別れしたのですが、小さい頃の記憶は鮮明に残っています。

先日、遠方の友人と電話にて色々と情報交換をした中で、やはり幼少期の親からの愛情の注がれ方次第で子供の成育が大きく変わるかもしれないことを話していました。確かに、自分自身を振りかえるとそのとおりだと実感しています。親が自由人だったためなのか、私も自由気ままに生きてゆきたいというのが信条です。もちろん、その前提となる目標は確実に存在していますけれど。

目標無い中で生きてゆくこと自体、面白味もありませんし、また、誰かの力を借りて生きてゆくことも面白くはありません。最後は、自分という孤立した存在ですから。なんだかんだ言っても独りなのです。どんなに情けを注がれようと意識を傾けたとしても本当の情けをかけてもらうことはありません。

それよりも、自らが「責任者」となって前に突き進むことです。誰からどんなことを言われようとも自分が信じた道を突き進むことが生きているという実感を抱けるような気がします。批評や評論は要りません。しかし、その中で、自分にとって不足だと感じたら潔くそれを認めて自分の糧にすればよいのです。

行動してみて気づくことが山ほどあります。その行動の中でつまづくこともあるでしょう。つまづき気づき、そして次のステップに繋げてゆけばよいのではないでしょうか。今、ある若者が自分の病の後遺症を克服するために本気で自分と向き合い頑張っています。私の娘位の年齢でしょうか。彼には、別な意味で病気に負けないで自分に打ち勝ってほしいと心から祈っていました。

どんな逆境に遭おうとも、どんな苦痛があろうとも、きっと、彼はそれを乗り越えてくれるに違いありません。行政からの支援も途絶えたとのことでしたが、それをバネに頑張ると信じています。素直な素直な人間ですから、多少なりとも時間を要したとしても乗り越えられると信じています。何故なら、ご両親が素晴らしい。さらにご祖母様が素晴らしい。ご祖父様はすでに他界されたとのことでした。ご祖母様の一言一句が私を本気で奮い立たせてくれました。

今年の最高のクリスマスプレゼントです。プレゼントは物ばかりではないことを気づかされた50歳でした。人と人との繋がり、ご縁には心から感謝しています。私は、人脈という言葉は好みません。しかし、気づけば「人脈」が出来ていたような気がしています。これも全て周囲も皆様とのご縁の賜物と感謝しています。

出生してからすぐに家族、親族という血脈という存在があり、年を追うごとに学校という社会、職場という社会、地域という社会の中で自分という小さな小さな存在から、いかに社会に貢献できるのかを模索して行くにつれ、人と人との繋がりが産まれてゆくのではないでしょうか。

全てのことに感謝という語句だけで言い切れぬほどの感謝なのです。どんな逆境にぶつかろうとも頑張ってゆけるという気概をもち日々過ごしてゆきたいと感じています。その若者のご祖母様との出会いで心新たに頑張ることができそうです。素晴らしい、人との出会いというクリスマスプレゼントに感謝です。


 

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