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概ね準備完了かな・・・

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今や、終活やエンディングなどの言葉が当たり前になってきています。つい先ほどまで、市内の高等学校のPTA役員会に呼ばれ、9月の茶話会で何をお話すればよいかについて打ち合わせてきました。親御さんから様々な心情を吐露されて、そこからまた新たな学びとこれからのきっかけを掴んできました。大きなヒントです。

 

終活やエンディングは、いわゆる「死」に備えるイメージがありますが、果たしていかがなものでしょうか。生物にとって平等に与えられていること・・・それは「死」を絶対に迎えることです。その死対策を元気なうちにというものですが、私自身、どうもしっくりこないのです。それよりも、今、この瞬間こそが大切ではないかと。ですから、終活、エンディングは、別な見方をすれば今を充実させるための自分自身の棚卸と位置付けた方が良い気がします。

 

明後日、ある組織の全道大会があり、北海道内から函館に集結するとのことです。その組織の函館支部長から要請を受け、「エンディングノート」について、お話をしてきます。会社経営者が殆どのようですから、将来に向けての事業承継や後継者対策などを絡ませてお話をしてきます。当事務所が開業した翌年から「自分史作成教室」を開講してきたのですが、これは、何も個人だけではなく、法人を対象にしてもおかしくありません。

 

今から、数年前にある会社の株主名簿と実際の株主について、様々な書類から変遷を辿ったことがあります。その書類を見てゆくと、その会社の移り変わりが見えてきたのです。大会社などの大きな組織になると会社史などが作成されていますが、中小の会社は少ない気がします。特に、役員の入れ替わりがあると、全ての議事録が保管されていると良いのですが、古いものは廃棄されている可能性があります。

 

その時には、手掛かりがなくなり、現在の経営陣が困惑することも有り得るのです。あのときは、本当に困りました。真の株主を確定しなければ、それこそ相続などが発生したときにどうしようも無くなる可能性を秘めているからです。今年の秋には会社の役員が変更した際の登記申請には株主名簿を添付することになるようです。今までは、性善説???に沿った実務上の取り扱いでは?と思うのですが、これからはそうはゆかなくなります。そこにも、我々が関与できる場面があるはずです。

 

旭川の同期ともこの件についてやり取りをしましたが、世知辛い時代ですからこれから先も色々と取り扱いは変わってゆくだろうと話していました。まあ、書き出すと色々と出てくるわけですが、今日、お会いした高校の先生は、「勉強も大切ですが、本来をもっと深めるべき」と話していました。ゆる〜く、ゆる〜くの中で人間らしく成長できればと願っていたように思えました。

 

私も、もっともっと、ゆる〜く、かる〜く、過ごすことを目指します。(笑)


やらなければ始まらない

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こんばんは。今月は今のところ休日なしの状態です。今月の一週目は東京、二週目は仙台、三週目は東京横浜、そして四週目は三女の吹奏楽コンクールのため、ようやくお休みを頂けることになっています。三女も、中学生となり、早速の夏休みです。一学期は早く過ぎて行ったようです。

 

私も、一学期はあっという間に過ぎてゆき、すでに二学期の準備に入っているような状態です。娘の話しをすると、小学校から吹奏楽?を始めており、中学では吹奏楽部に入部しました。やはり、体力的にまだまだですから、部活が終り帰宅すると居眠りのようです。勉強も大切ですが、部活動を通じて人間関係や規律といったことを学んでくれたらと願っています。

 

上級生や同級生との関係など、そこから学ぶことは山ほどあるはずです。そして、人間関係で悩むこともあるはずです。その中で、耐えることを体感し、協調してゆくことの連帯責任をしっかりと学び、悩み、そこから成長して欲しいところです。理屈ばかりこねていても、やらずして不安ばかりが頭の中を駆け巡ったとしても、結果は見えてきません。

 

やって失敗したって構わない、やらずして後悔するくらいならやったほうが良い。何か行動しようとすれば、不安はつきものかもしれません。失敗を避けたい理由はなんでしょう。自分と言う存在を見くびられるから?そんなの関係ね〜じゃないですか。自分の存在はどれだけのもの?函館市内の27万人弱の人口のうち何名の方が、自分と言う存在を知ってくれているのか、1%もあれば最高ではないでしょうか。

 

いいんです、失敗したって。もっと、自分の存在を俯瞰して見るべきです。やらなければ・・・何も始まりません。何も見えてきません。何も起こりません。何も気づきません。何も言えません。やったことで人に伝えられることが増えてきます。紙面上からはある一定までのことは分かったとしても、理解には至らないかもしれません。だったら、やることです。やらずして始まりません。

 

いよいよ、三女も今週末コンクールです。大いに失敗してそこから成長という幹に繋がればそれで良いと思っています。三女に負けるな自分と言い聞かせ、明日も頑張ります。


我関せずってかぁ・・・

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今日も朝から外勤続きでした。事務所に戻ったのは午後6時。役所を回り、遠くのお客様を訪問しつつ、これからお客様が諸手続きを行うところへ向かい、担当者と打ち合わせを行ってきました。事務所に戻ると、文書作成が待ち受けており、何とか明日の朝一番で発送できる状態になりました。気づくと午後9時を回っていました。

 

それでも、遠くのお客様のお仕事は一気にものごとが進み、こちらもいよいよ本気モードに突入です。来月中には完結させるべく動き出します。今週末、東京方面へ行きますが、滞在中に横浜市内の二カ所へ行くことになりました。今回の出張でも順調に推移すれば、8月初め頃には再び東京へ行くことになるでしょう。そして、8月中旬には登別、苫小牧、岩見沢、士幌を回ってくることになります。

 

つい先ほど、旭川の同期である心の友と久しぶりに話すことが出来ました。元気そうで何よりでした。今年中に旭川において何かコラボできないかと打診しました。やるとなったらやりきりたいところです。どうしても、多くの皆様に聴いていただきたいことが山積しているものですから。そのことで、おひとりでも安心してくだされば言うことなしなのです。

 

このことは、函館市内においても実行しようと模索しているところです。まずは、ある法律を読み込んで、解説書から紐解ければと思っています。旭川の同期と共働したいと心から願っているところです。やることだらけですから。そして、来週には函館市内の行政書士が事務所に来ることになっています。子供たち向けの法教育とは趣が異なりますが、何かしらのきっかけに繋がればと想っています。

 

とにかく、待っていては何も始まりません。やることが無いのではなく、やることを見つけていないのです。いくらでもやることは出てくるはずです。目の前にやることがあったとしても、俺には関係ないし・・・、だとか、指示を受けなければ動けないし・・・、だとか、自分は蚊帳の外だから関係ないし・・・だとか、そこには「責任」という言葉から回避しようとしか思えないわけです。

 

また、ある組織を退職し、同じような士業についた人物が、その組織内で知り得た企業の情報を退職時に持ち出し、それを自分の業務につなげようとしている輩がいるのです。その組織も一体どうなっているのでしょう。組織に関係する企業にとっては安心していられないことです。安易に重要情報が持ち出される状況ですから。良し悪しをいい歳になっても理解できないのでしょうね。

 

そんな輩に仕事を依頼することは、守秘義務も守られるのかが心配ですね。その行為も自分さえ良ければよいという発想であり、たとえ、誰かから何かを言われたとしても我関せずなわけです。

 

明日も、朝から動き回らなければなりません。明後日から東京ですから、その準備と打ち合わせを最優先に進めてゆきます。


どんな状況でも

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今日も一日あっという間に時間が過ぎてゆきました。毎日、こんな状態ですから一か月が過ぎてゆくのもあっという間なのです。昔、役所に勤務していた時代は、時間の進みはこんなに速かったのかと改めて思い返しています。一日24時間ですが、早く過ぎる24時間、遅く過ぎる24時間・・・そう思ってしまうのは、やはり気持ちの持ち方なのでしょう。

 

気持ちの持ち方といえば、仕事でも生活でも、この持ち方ひとつで随分と感じ方が変わるわけで、出来れば、平穏に過ごしてゆきたいところですね。今日は、朝一番にお客様がお見えになり、許可書等の書類を手交しました。ようやく完結したわけですが、こちらとしては気が抜けない案件です。

 

そして、次のお客様がお見えになり、新たな事件を受託しました。お客様からは心温かなお言葉を頂戴し気恥ずかしい気分になりました。お客様に支えられているのだということを実感しました。その後、福岡県へ届書を送付し、こちらも終焉を迎えます。午後からは、市役所や町役場へ出向き、書類の交付を受け、また、建設課にて道路の確認です。開発行為が必要になるかの瀬戸際です。

 

それが終り、そのままお客様が所有する土地に出向き、簡単な調査を済ませ、函館に戻り、明日、会社設立予定のお客様へ立ち寄り打ち合わせを済ませました。それから、今日最後の訪問先である西部地区のお客様と今後の打ち合わせに向かいました。そして、事務所に戻り、行政書士とスタッフとのあす以降の打ち合わせを行い、終わったのが22時でした。

 

毎日、こんな状態です。今週末は東京へ出張してきます。とんぼ返りです。そして、これが順調に進めば、再び東京へ向かわなければなりません。先々週は東京、先週は仙台、そして今週は東京と今月は土日はありません。けれど、その先にお客様たちの笑顔が待っていることを想うと黙ってはいられません。明日はというと午後から上ノ国町へ行ってきます。

 

こんな日々を過ごしていますが、どんな状況であっても常に一定の心持ちを心がけています。決して、命は取られませんから。(笑)


愚か


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ここ最近、遠ざかっていたブログです。原点に立ち返り心を入れ換えてブログに向き合います。このブログを書き始めたそもそものきっかけを忘れてしまいかけていたことを反省しなければなりません。このブログがあったから、毎日、向き合ったから今があるといっても過言ではありません。





いわゆるSNSにのめり込み過ぎていた自分に反省です。SNSを否定するものではなく、自らの原点を放っておいた自分がいかに愚かだったかを認めざるを得なく、自己矛盾を起こしていたことに反省です。本当に自分が嫌になるくらいの向き合いです。忙しさにかまけてしまい、それを言い訳にしてきたここ最近の自分のやり方に自戒しなければなりません。





行政書士というお仕事をさせていただき、多くのお客様に支えられてこられたことに心から感謝しなければなりません。自分自身の最近の心境は喜怒哀楽が激しくなっていたことに気づかされています。喜怒哀楽は、喜び楽しみという「快感」と怒る哀しむという「不快感」のどちらかしか無いことを今さらながら思い知ったのです。





きっと、ストレスはその両極端な感情のやり取りがストレスを増幅させているのかもしれません。その中間点である「快」でも「不快」でもない部分が案外ストレスフリーな状態かもしれません。その状態に自分を移動させることでもしかするとストレスも軽減されるのか?などと考えたりしています。だったら、早速、その中間点に位置させるための方法を自ら見つけ出さないなりませんね。





ところで、家族内で、何かを原因とした軋轢が生じた時、そこには「対」という文字が現れてきます。その「対」は、ともすれば喧嘩となり愚痴となり、いわゆる不快感の塊となり、それがエスカレートすると、様々な方向に矛先が向き、要らぬトラブルを起こしかねません。それこそが「不快」を次から次へと助長してしまうと思えてなりません。





たとえば、親子で何かしらの軋轢が生じたとき、時として、子供に対し「お前は親の言うことを聞いていればよい」なんてことをよく耳にするのですが、果たして、それはどうなのでしょう。親子は力関係でもなんでもありません。夫婦も同じこと、他人に対しても同じことが言えるのではないでしょうか。自分に相対するどんな人であっても、それぞれの人を尊重することが当然です。





見た目で人を判断するのはもっての外です。それは、自分の物差しを基準にしているからこその為せる業であり傲慢以外の何物でもありません。よく、人は自分の鏡と言われますが、相手が自分に対し嫌なこと不快なことがあったとしたら、それは自分が相手に対しても不快なことをしていると言っても良いはずです。





人生勝ち負けではありません。と、私は個人的に思っています。この世からいなくなってしまえばそれで終わりです。生き物に平等に与えられた生存活動は「死」でしょう。その平等に与えられた「死」を迎えるまでに、少しでも「快」でありたいと願うところですが、やはり中間点、換言すれば「平凡」に生きてゆくことこそが幸せなのかもしれません。そのためにも、先入観ではなく、一歩突っ込んで行動してみると自分の愚かさを知ることが出来、次へのステップになるはずと信じています。





久しぶりにブログをアップしますが、これからは原点に立ち返り、やらされではなく、やってゆきます。この積み重ねこそが大切なことでしょうね。



伝える難しさ

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こんばんは。2月も中盤を迎えようとしています。一日が経つのは本当に速いものです。北海道新幹線もいよいよ来月開業となり、これまでの在来線を走行している特急を目にするのは時間の問題となりました。どこか寂しさを覚えます。鉄っちゃんの私としては、正直なところ、新幹線を利用する場面があるだろうかとさえ思えてしまいます。何故なら、新駅まで向かう時間を考えると今までと大差はありませんし、料金も場合によっては飛行機の方が安く済みそうな気がしています。やはり、1時間ちょっとで羽田に到着するのと、4時間をかけて東京に到着するのとでは時間的コストからして飛行機に乗ることになりそうです。

ところで、人に何かを伝えようとしても、これが、なかなか伝わらないことが多く感じるのは私だけでしょうか。きっと、伝える側の私に問題があるのでしょうが、どうすれば真意を伝えることができるのでしょう?と、常に葛藤しています。伝えられる側の聴く姿勢もあるのでしょうけれど、やはり、伝える側の伝達方法をよく考えないとならないでしょう。本当に悩んでしまいます。もっとも、聴く側が、すでに聴く以前から聞くの姿勢になり、さらに自分の中での考え方が凝り固まっていては、聴くどころではないのですが。

明日は、小学生5年生に向けて、「いじめ」についてのお話をしてきます。子供たちを惹きつけるにはどうしたらよいのかと、これもまたいつも悩みどころです。自分の経験からして、年々大人しく無関心、かつ無感動の子が増えているような気がしています。また、親の生年月日も知らず、親の名前すら正確に書けず、さらに、自分の住所すら知らない子がいることも事実なのです。自分の身を守るひとつとして、自分の住所、親の氏名、電話番号を最低限覚えておく必要があるでしょう。それが、算数ばかり得意でも、自分自身や身の回りのことを知らないのには閉口してしまいます。

私も三人娘の親ですが、果たして、子供たちに対し、常識的な躾をしてこれたのかと自問自答しています。
・勉強をしない・・・どうして勉強が必要なのか説明できず・・・挙句の果てに、点数を取らないとダメ!あるいは、誰々ちゃんに負けてどうするの!や、トップ10番以内に入らないと(その理屈説明できず)
・朝起きてこない・・・先生、うちの子供が朝起きれないのですが、代わりに起こしてくれませんか?・・・親が解決できないことを他人が介入したとしても焼け石に水
・朝食を食べていない・・・お母さんが寝ているからとは子供の弁・・・親はというと、朝弱いんですよね。・・・ひどいとお金をテーブルに載せているのにそれで食事を買ってこない
まあ、実際に耳にした話です。まだまだ、あります。きりがありません。だからこそ、こちらはお勉強になるのですが・・・

そういえば、そろそろ高校受験の時期を迎えます。自分が受験の時はどうだったかと、ふと思い出したのですが、試験前日に下見にはバスで往復しました。確か、その帰りのバスで、降車の際、運転手が何を勘違いしたのか、私が下りようとしたときに、ドアが閉まり頭を挟まれたのでした。(笑) その結果、翌日の受験に向けた勉強のほとんどが挟まれたことによって消失してしまったらどうしようなどと本気で考えていました。でも、本当に痛かったのですから。翌日は、同じ学校を受験する面々と同じバスに乗り込み、神妙な雰囲気で下車したことを覚えています。あれから、40年近くが経つのですね。どこか穏やかだった記憶があります。

近々、受験を迎える子供達にはこれまでの積み重ねてきた成果をしっかりと発揮して欲しいと願っています。これからの宝ですから。その宝を良くするもそうでなくするも、親次第でしょうね。これは、間違いないことだと断言します。もちろん、自分も反省しきりです。子供を親や大人の都合で振り回しては絶対にいけないことです。その結果、多くの尊い命が絶たれていることも事実ですから。さて、明日は本気で子供たちと向き合い、伝わるように努力し、一緒に楽しんできます。

頭の整理

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新年が明け、まだ半月にも関わらず、新年の余韻すら感じないのは気のせいでしょうか。すでに、申告準備に入りながらも、受注している業務を同時並行で進めているところでした。昨年の今頃はといえば、やはりお正月気分は皆無に等しかった気がします。
一年の進みは年々速さを増しているように思います。今年もあっという間に過ぎてゆくのでしょうね。

今日、事務所スタッフとの会話の中で、昨晩、テレビでアイドルの活動について放映されていたとのことです。話しを聞けば、結構ヤバいことを日常活動のほかに行っているようでした。アイドルの女の子(それも未成年者であることがありあり)がいわゆる下着姿?になり、お金を支払えば、写真撮影をさせ、それも要望に応じて様々な体位になるらしいのです。また、さらにお金を払えば身体の一部を揉ませるような行為もあるとかないとか。

そこまでしなければ売れないものなのでしょうね。芸能人ではありませんからその世界は未知の世界ですけれど。仮に、私が、彼女たちの親だとしたら、とてもとても許容できるようなことではありません。「風俗営業等の規制及び業務の適正化に関する法律」によく出てくる用語に、「性的射幸心を煽るような・・・」とあるのですが、間違いなくその用語にバッチリ当てはまるような気がします。果たして、未成年者、かつ、そのような営業行為からして、性的射幸心を煽らないことも無さそうですがいかがでしょうね。

これまでの常識としては、成人前にやっておかなければならぬことは、親の躾け、学校という教育機関などにおいて、しっかりとした教育を受けるべきところが、学校等を中退し、将来を夢見て上京し、ところが、思い描いていた世界とは程遠かったという図式も想定に難くありませんね。もっとも、親自身が送り出した子供が働いてくれ、そこで得た収入をあてにしているのであれば、別でしょうけれど。

なんだか、見えないことがたくさんありすぎです。息の長い芸能人の方々から感じることは、自力で物凄い努力をし、様々な酸いも甘いも経験されたところから、自分という存在をしっかりと見出しているのではないでしょうか。目の前にある大物歌手の方を目の当たりにしたときに感じたのは、オーラを感じたのは言うまでもありませんが、気取りがまったく無いのです。歪曲したプライドを微塵も感じることはなく、すごく親近感を抱いたのでした。

きっと、そこには、本人が本人自身でなければ分からない努力から裏打ちされた「根拠」がそこにはあるのでしょう。煌びやかな世界を醸し出す背景には目に見えない誰にも言わない血と汗を流したからこその煌びやかなのでしょう。一瞬、チヤホヤされその気になっていると、気づかぬ間に裸の王様然となるのは明白でしょう。チヤホヤこそほんの一瞬。自分自身のカラーをしっかり打ち出し、自分が自分をしっかりと許容することが重要でしょう。

表面は平身低頭であっても、中身が伴わなっていなければ、あっという間に化けの皮がはがれてしまいます。こちらでは「A」と言い、あちらでは「B」と言い、こちらとあちらを混乱させる輩もいるようです。そんなことに遭遇しないためにも、自分自身の中のコアそれも微動だにしないコアを養い育てることが必要でしょうね。それらのことをしっかりと肝に命じ日常生活、日常業務を遂行してゆかなければと自戒しています。

明日も、朝から来訪者がお見えになります。会社を作る方と打ち合わせます。函館市内をぐるぐると回ります。明後日は午後から東京入りです。頑張ろうっと。
 

気楽に頑張る!

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本当に久しぶりのブログです。ここ最近は、フェイスブックを中心にしていたものですから、ブログが疎かになってしまいました。
今年もあっという間に11月を迎え、気づけば12月を目の前に控えています。今年は年明けの元旦から仕事が入り、さらに二日も三日もといった毎日でした。これはこれで本当に有り難いことです。事務所も開業10周年を迎え、節目の一年でもありました。出会いがあり別れがあり、紆余曲折しつつも心温まることもあり、人生の縮図をこの一年間で過ごしてきたように思います。実際にまだまだこれからも色々なことがあるのですがね。

この世に生まれて51年、結婚して26年、親になって25年、爺になって3年、公務員20年、民間企業2年、個人事業10年・・・様々なことを年数に置き換えると色々なことが想い出されます。この中でも、個人事業の10年は長いようであっという間に今を迎えています。年齢を重ねるごとに一年の進み具合が速く感じるのを実感しています。そして、来年の今頃は生きていられるだろうか?や、来年も行政書士をしているだろうか?など、色々なことが頭の中を駆け巡っています。

せっかく生まれてきたのですから、何かに頼ることなく、さらに自由人で生きてゆこうと良い意味で開き直っています。やったもの勝ちではありませんが、来月下旬もまた違った趣向でイベントを開催します。一生一度きりの人生ですから、好きなことをやればよいわけで、何かに囚われることも無く、何かに左右されることも無く、自由に気ままに好きなことをやれば良いと心に決めています。ですから、来年の今頃は実際にどんな状況になっているかと思うとわくわくしてきます。

それも多くのお客様から多くの後押しがあり、さらに、心から信用できる何かを見つけられたからです。その何かはご想像にお任せしますが、自分の中の信ずるものの存在は大きいのであって、今年は、それを見つけられたのが良かったのです。これからもまだまだ色々なことを画策してゆきます。多くの子供達に夢や目標を与えられる存在になるには、不断の努力は不可避であってそれを目指し再び点火着火してくれた方がいたことも確かなことです。

ともかく、自分自身のコアをしっかりと認めたうえで、誰の力も借りず、誰に頼ることもなく、全身全霊で毎日を過ごさなければなりません。もちろん、時には大きな気分転換も必要ですが、実際のところ気分転換などする時間があるのなら、自分の当たり前になるよう努力せずにはいられません。今年は飲みに行く機会は五本指で足りています。それで良いのです。自分を奮い立たせなければ発信できませんし着信も出来ません。誰が何と言おうと本気で臨みます。来年の今頃は何をしているのかを目の前の目標として気楽に頑張ります。

きづこうよ

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今年も6月に入りました。つい先ほど帰宅したのですが、遅い時間にも関わらずお客様が快くお待ちくださっていることには本当に感謝しているのです。今日は午後1時過ぎから外勤に出たきり、事務所に戻ったのは午後10時頃、それまでの間はお客様を5件ほど訪問し、新規で数件のお仕事を受託し、また、ようやく完結を迎えることになった業務もありました。

また、今週末は千葉県は蘇我、東京は八王子と霞が関、横浜は磯子へ出張してきます。それに並行して時間があれば、新たな事業を模索すべく、ある事業所等を訪問してくる予定です。私の事務所も今年で10周年を迎えますが、いつも心に決めていることは、誰かに依存した仕事の仕方ではなく、自ら発想した仕事を構築してゆくことです。待ちは待ちで終わり、それ以上、進化はありません。

自らの発想こそが仕事を育んでゆくのでしょうが、旧態依然の変化もない仕事は、結局のところ目先のお金さえ手にすればそれで良しなのでしょう。そこには、成長もありませんし、面白味がないような気がします。そうです。今日あるお客様を訪問した際、「先生は仕事をする体型ですね。」と言われました。仕事をする体型?一体、どんな意味だろう。でも、自分の体形を自ら解析するに「いわゆるデブ」なのです。自分の標準体重よりも5キロも多いわけで、これで仕事をする体型と呼べるのかと自問自答していました。

自分の弱さが、食欲や嗜好に現れ、その結果が今の私なのでしょう。もっと、精神力を強め、誰が何と言おうと自分のコアは曲がることなく死ぬまで突き通すくらいの本気さが備わらなければと言い聞かせています。目の前で飛び降り自殺の一部始終を目撃した私ですが、そこから自分の人生観が変わり、いつ死ぬかもしれない生物がもつ運命を自覚させられ現在に至っています。

つい先日、娘の一人が入院し手術を受け、摘出されたものが悪さをするかどうかの瀬戸際に立たされました。しかし、それも娘の運命なわけで、親の私は神のみぞ知るの心境でした。その結果がどうであったとしても、その結果を真摯に受け留め、あとは娘の精神力に任せるよりなかったのです。冷たい親だと思われるでしょうが、親子であっても、一人はひとりですから、痛みを知ることが出来なければ、代わりに手術を受けることも出来ず、結局は娘自身のことを周囲から見守ることしか出来ません。

いくら医師に駆け寄ったとしても、どうなるわけではありません。今や、子供が職場に親が送っていくということを耳にします。その職場の方々は言葉には出さないものの冷ややかな目で見ているそうです。当然でしょう。そういう親に限って、社会人である子供がするべきことを親が代わってするような場面が必ず出てきます。たとえば、就職したばかりの時は職場という世界に馴染むまで時間を要するのですが、学生時代の延長と勘違いして「行きたくない」「面白くない」といった理由から職場を簡単に休むなど、そんな時に親が職場にお休みの連絡をするようなことが往々にして起きているようです。

私が就職したときは、送ってもらうなんてとんでもないことで、たとえ風邪を引いたとしても親が職場に電話をするなんて社会人としてはあり得ないことでした。それが、今の時代は変化しているのですね。仕事をするとはいったいどういうことなのか?それ自体を親が理解できていないのかもしれません。私も、経験があるのは、本来本人が書くべき文章を親が代わって書き上げてきたというものです。一瞬にして見破られるのを分かっちゃいないのか唖然としたものです。本当に子供が可哀そうです。そのことを親は全く分かっていないのですね。

これから先、どんな時代になるのでしょう。私自身も、自分を俯瞰して常に自問しながら反省すべきは反省し、果敢に進むべきことは進めてゆきます。さて、明日は8時にお客様を訪問し、その後、お取引先や同業の方が次々に来訪されます。午後は、調査と申請準備ですね。農地、風俗、建設も待っています。

 

俯瞰する

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今月も終盤を迎えようとしています。今月も色々なことがありました。それは、今も変わらずです。行政書士となりあと少しで10周年となるのですが、ふと、自分を俯瞰したとき、これで良かったのか?自分の言動はどうなのか?人の話しをしっかりと傾聴できていただろうか?これまでの仕事の仕方はどうだったのだろうか?などなど、反省しなければならぬことが山ほどあることを気づかされています。

お客様とお逢いすると、そこから様々なことを学ばされます。人のお話を傾聴するとは、実は、自分の感情はそこに存在してはならぬことを学んできました。人のことを判断するとは、実際のところ、100年も早いわけで、判断基準はあくまでも自分を基準とした物差しでしかないのです。私自身の仕事の仕方は、どうしても突っ込んでしまう傾向にあるのですが、それをいまさら変えるつもりはありません。何故なら、突っ込まないと中身が見えてこないからです。

きっと、自分も、誰かに話しを聴いて欲しいときは、突っ込んで欲しいという願望があるからでしょう。しかし、話せない現実もあります。話すけれども、本心を明かせないでいるのが本当でしょう。それを出してしまえば、きっと、人のお話を聴けなくなるからかもしれません。自分が若い頃に、相談を受ける役目として毎日のように様々な相談を受けていたのですが、受ける私が未熟であるために、自分の中で葛藤し悩み、終いには体に変調をきたしたこともあります。

私自身、人のお話を聴くとは、話しを聴きながら、聴いている自分を自ら俯瞰しながら聴くという姿勢を当たり前にしてゆかなければならないと、常に自分に言い聞かせながら相談を受けています。特に、私は、自分の価値観でお話しするとなると、ある意味無責任極まりないことになってしまう恐ろしさがあるからです。自分の感情は「無」に、自分の価値観は「無」にしていなければ、相談者の本質に迫れないはずです。

聖徳太子ではありませんが、たくさんの人が発した言葉を漏らさずに理解して、それらに対し、的確に答えたという伝説?がありますが、それは記憶力が良いのか、あるいは、本気で傾聴していたからなのかは分かりませんが、いずれにせよ、真剣に集中してお話を聴いていたからこそ、聞き分けることができたのでしょう。

視野も同じ気がします。様々な視覚情報を多く収集できれば、事故に遭うこともへるはずです。どんな些細なことでも見逃さない姿勢は磨き続けたいものです。どうしても、物事が円滑に進めば進むほど、謙虚さは失われ、奢りや傲慢さが知らず知らず現れてくる可能性があります。私も、今年が最後になるかもしれないと常々言い聞かせ、いつどうなっても良いように、それが普段の状態にまで気持ちを引き上げてゆければという願望があります。

常に俯瞰し、心で傾聴し、素早く見極めること。そのためにも、普段からどんなことでも構わないので、些細な変化にも気づけるような態勢が必要な気がしています。退化しつつある五感を今こそ際立てて活かさないとなりませんね。


 

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