JUGEMテーマ:日記・一般
皆様お疲れ様です。
今日はイトーヨーカドーでのなんでも相談会を開催しました。相談者数は毎回上昇傾向にあり、今日も程良い来訪者数でした。少しずつですが、浸透してきたように思えます。相談内容も相続に関すること、高齢者にとってこれから将来の生活についてどうしたら良いのか的な内容など、世を反映している内容が多いのです。
昨日の相続がなくなったらではありませんが、年を老いてゆくにつれ、将来のことがストレスにもなっているように感じます。相続という制度自体がなくなれば、ストレスフリーなのになどと勝手に考えておりました。
それにしても、世知辛い世の中、それも他人さまとの関係だけでなく、親子間、兄弟間、など血脈間での世知辛さを思い切り体感しています。我が家を振り返ると、父親は上手に財産を残さないで逝ってくれました。このことは、母や妹との関係についても逆に円満なものにしていってくれたのかもしれません。改めて、父親に感謝しますね。
ところで、昨日の北海道新聞において、尊厳死宣告公正証書についての記事が載っておりました。尊厳死宣告は本人の自己意思を公正証書に確実に反映される内容であり、今後は増加してゆくことでしょう。とはいえ、自己が高齢になってきて考え始める内容なのかもしれません。
私自身も、尊厳死について強い希望があるものですから、そのことについては、すでに家族の全員に伝えてあり、勝手ながら何らかの書類を作成しています。高齢だから、若年だからと年齢を問わず、死とは紙一重で日常生活を送っています。
万が一、人工呼吸器を装着しなければならぬほどの重態に陥った場合、その先のことを本人自身はどう考えてゆくのかについて、しっかりと自己意思を決定した内容を公正証書に認めるのですね。ところが、身内で本人の尊厳死について納得はしたものの、それでも、いざ身内が死に直面した場合に、尊厳死宣言を無視?してしまうことも往々にしてありうることでしょう。
無視するのはよいけれど、しかし、医師がその宣言を尊重して、家族にその意思について確認し、人工呼吸器を外したとなると、そこから、親族は医師に対して訴追するという態度に一変することも考えられます。お医者さんはその辺について非常にためらいを覚えたりするのかと思いますね。
昨晩もある病院の先生とそのことについてお話しをさせていただいたのですが、やはり、本音としては微妙な感じがしました。私の個人的考えとしては、器械に頼るのではなく、何にも頼らない中で、自然死を迎えることが最も円満なのではないのかと考えます。
確かに、助かる見込みがあるのなら、といいたいのですが、助かる見込みは誰が定義付けてゆくのでしょう。だれしもが助かる見込みはあるはずで、だからといって、無碍に生かすことはどうなのかと疑念を抱いたりもします。
いくら重病であっても、患者本人の自尊心を傷つけることはサイテーです。自尊心を尊重するとは本人を人間として、人として接してゆくことであり、さらに、本人の考えなどの意思をしっかりと引き出してゆくことなのかなと思います。尊厳死もバランスです。一歩間違えるととんでもない方向に突き進んでしまいますから、十分に精緻な対応を心がけることでしょう。
生と死・・・背中合わせです。私も様々なご相談を受ける中で、お客様のお話しを伺い、考えさせられることばかりです。ひとりひとり真剣に将来のことを考えていらっしゃいますね。あらためて、今日もそのことをしっかりと心のなかに刻むことが出来ました。この相談会の目的は少しでも地域の方々に何らかの形で貢献できたらという願いにて開始したものです。
来月は下旬に開催する予定です。
皆様お疲れ様です。
今日はイトーヨーカドーでのなんでも相談会を開催しました。相談者数は毎回上昇傾向にあり、今日も程良い来訪者数でした。少しずつですが、浸透してきたように思えます。相談内容も相続に関すること、高齢者にとってこれから将来の生活についてどうしたら良いのか的な内容など、世を反映している内容が多いのです。
昨日の相続がなくなったらではありませんが、年を老いてゆくにつれ、将来のことがストレスにもなっているように感じます。相続という制度自体がなくなれば、ストレスフリーなのになどと勝手に考えておりました。
それにしても、世知辛い世の中、それも他人さまとの関係だけでなく、親子間、兄弟間、など血脈間での世知辛さを思い切り体感しています。我が家を振り返ると、父親は上手に財産を残さないで逝ってくれました。このことは、母や妹との関係についても逆に円満なものにしていってくれたのかもしれません。改めて、父親に感謝しますね。
ところで、昨日の北海道新聞において、尊厳死宣告公正証書についての記事が載っておりました。尊厳死宣告は本人の自己意思を公正証書に確実に反映される内容であり、今後は増加してゆくことでしょう。とはいえ、自己が高齢になってきて考え始める内容なのかもしれません。
私自身も、尊厳死について強い希望があるものですから、そのことについては、すでに家族の全員に伝えてあり、勝手ながら何らかの書類を作成しています。高齢だから、若年だからと年齢を問わず、死とは紙一重で日常生活を送っています。
万が一、人工呼吸器を装着しなければならぬほどの重態に陥った場合、その先のことを本人自身はどう考えてゆくのかについて、しっかりと自己意思を決定した内容を公正証書に認めるのですね。ところが、身内で本人の尊厳死について納得はしたものの、それでも、いざ身内が死に直面した場合に、尊厳死宣言を無視?してしまうことも往々にしてありうることでしょう。
無視するのはよいけれど、しかし、医師がその宣言を尊重して、家族にその意思について確認し、人工呼吸器を外したとなると、そこから、親族は医師に対して訴追するという態度に一変することも考えられます。お医者さんはその辺について非常にためらいを覚えたりするのかと思いますね。
昨晩もある病院の先生とそのことについてお話しをさせていただいたのですが、やはり、本音としては微妙な感じがしました。私の個人的考えとしては、器械に頼るのではなく、何にも頼らない中で、自然死を迎えることが最も円満なのではないのかと考えます。
確かに、助かる見込みがあるのなら、といいたいのですが、助かる見込みは誰が定義付けてゆくのでしょう。だれしもが助かる見込みはあるはずで、だからといって、無碍に生かすことはどうなのかと疑念を抱いたりもします。
いくら重病であっても、患者本人の自尊心を傷つけることはサイテーです。自尊心を尊重するとは本人を人間として、人として接してゆくことであり、さらに、本人の考えなどの意思をしっかりと引き出してゆくことなのかなと思います。尊厳死もバランスです。一歩間違えるととんでもない方向に突き進んでしまいますから、十分に精緻な対応を心がけることでしょう。
生と死・・・背中合わせです。私も様々なご相談を受ける中で、お客様のお話しを伺い、考えさせられることばかりです。ひとりひとり真剣に将来のことを考えていらっしゃいますね。あらためて、今日もそのことをしっかりと心のなかに刻むことが出来ました。この相談会の目的は少しでも地域の方々に何らかの形で貢献できたらという願いにて開始したものです。
来月は下旬に開催する予定です。