やはりパソコンの調子が良くありません。先ほど文章を載せてアップできたと思いきやすっかり内容が消え去っており、ショックですね。
さて、先週土曜日に開催した自分史作成教室も無事終えることが出来ました。今回は数年ぶりの開催とあって、会場は「港の見える丘 クリフサイド」において、参加者数17名により行いました。
特に、今回は自分史作成からスタートし、函館の夕景とクリフサイドさんでのお食事と東京銀座のマキシムドパリにおいて定期的にライブを行っているシャンソン歌手兼音楽教室主宰の三浦みどり先生による生のシャンソンを楽しんでもらい、日ごろの気忙しさから脱してもらうことを念頭に開催いたしました。
参加者の皆様は「たまにはこんな時間も大切ですね」と異口同音にお話しされていたことが印象的でした。確かに世知辛く生活しづらい世の中かもしれません。けれども、自らの発想ひとつでどうにでもなるのかもしれないことを新たに発見できたように思います。
実は、今日も朝から「葛藤」させられた場面が立て続けに目の当たりにしました。時に法律は冷たく、時に法律に助けられ、時に法律が先行し・・・など色々な見方があるわけですが、案外、ちょっとした気持ちの持ち方ひとつで、冷たくなく、助けられることなく、先行されることもなくなるかもしれません。
また、何か起きると誰かのせいにしてみたり、自ら行動せず、指示ばかりという姿勢も往々にして起きているような気もします。自らやらずして誰がやるのでしょう。誰かに頼るということも時としてあるわけですが、頼り方ということを知らずして頼ってしまい、結局、自分の思い通りにならなければ文句ばかり・・・
それくらいであれば、自らが発想し、行動し、そこからの結果は自らが実感し、たとえそれが想定していない内容だったとしても甲斐というものが残るはずです。その甲斐を気づかずして誰かに全てを頼ってしまうとそれこそ損臭いのではないでしょうか。
特に、身内のことについては第三者が入り込もうとも無理があるわけです。まずは、自らが責任者として、ここでいう責任者の意味は深いのですが、本当の意味での責任者になることが大切だと私は思います。そういっている私自身もまだまだ未熟そのものですから、自戒の念を抱きつつ反省しつつこの文を書き上げているのですね。
有るけれど・・・無し・・・この発想こそが合意形成を図る上で不可欠なような気がします・・・実感