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大変お久しぶりです。来月中旬に事務所を、今の神山町から杉並町へ移転することになりました。これが最後の移転となることでしょう。さて、函館市の人口はついに26万人を割ってしまいました。一世帯あたりの構成人員は1.81人/世帯となり、年々減少しています。この数字が物語っていることのひとつに、単独世帯数が増えていること。ということは、お一人さま世帯割合が増加しているということにまります。
函館市内の各町別での世帯人員が多いところは、桔梗方面です。ここは、子供達が占める割合が高く子育て世帯が多いということになりますね。一方、少ないところは西部方面です。最も少ないところは、確か1.4人/世帯だったはずです。そうなると、例えば、町内会活動にも支障を来たすことになり、子供たちといえば学校の統廃合による通学への影響が大きくなっていると推測できそうです。
先日の新聞の中で、「コミュニティースクール」を市内の全ての学校に取り入れるということが載っていました。学校、家庭、地域が連携して学校運営に当たるという内容だったはずです。以前から地域連携は課題のひとつであり、既に昔からの連携がある地域、また、宅地造成が大規模で行なわれた新しい地域があるなど、それぞれの地域特性が潜在しています。
今後、この制度を取り入れるに当たり、各町内会での地域土壌が醸成されていることが望ましいはずですが、私の仕事柄、お客様との会話から町内会組織の在り方に疑問をもたれている方が増えていることや会員自体が減少の一途を辿っていることなどを鑑みると、果たして、円滑な地域連携が可能なのかと考えてしまいます。
他方、学校と家庭の連携については、学校教育法が制定されてから、PTA組織が全国的な広まりを見せ現在に至っていますが、個人的には形骸化している感は否めません。少子化に伴い、PTA会員はそれに比例して減少しているわけですから、旧来の行事運営を継続させることは困難な場面に直面することが事実起きているようです。
組織の上に上納組織があることなど、各単位PTA会員自体がそのことを認識している方は大変少ないことも事実です。全ての学校とは言いませんが、PTA組織自体に疑問を抱きながらも止む無く会費を納めている方もいるなど、組織自体が形骸化、また、PTAは役員の懇親の場と断言している親御さんも多数存在しているわけです。これはしっかりと根拠を持った話ですから、ここに書くことが出来るのです。
個人的には、今一度、PTA組織の在り方を再確認し不要な組織はスリム化するなどの方法をとる必要があると思います。その上で、文科省が目指しているコミュニティースクールの意義目的をしっかりと深めなければ、それこそ画餅となりかねませんね。何故?コミュニティースクールが必要なのか?何故、町内会が必要なのか?何故、PTA組織が必要なのか?の存在意義が問われている気がします。
ところで、我が娘は来年3月に義務教育を終了するのですが、この3年間、特に問題なく学校生活を送っているように思います。そりゃ、子供といえども人間ですから、時には悩み困り泣き叫ぶようなこともありました。けれども、親が神経質になることなく子ども自身の解決能力の醸成と成長を信じ放任してきました。人間の成長過程の中では、避けては通れぬ障壁が必ず現れてきます。それは、成長過程であるから当然のことであり、自ら困窮しなければ気づかないわけです。
そのことを、親が先行してしまうと子供が社会に出たときに、自ら考え行動する人間にはなれないはずです。このことを経済効果で考えると、多大な損失になっているはずです。数字は心の現われですから、心と数字は気っても切れない関係なはずです。私自身、まだまだ年齢ばかり年を食っていますが発展途上段階です。子供には勉強しろとは無責任には言いたくはありません。まずは、私自身が自ら学び考え行動することを実践することが先決です。
JUGEMテーマ:日記・一般
先日、函館市内のスポーツ少年団の子供たちに向け講話をしてきました。悪天候にも関わらず団員の8割ほどの子供たちが集まってくれました。ほんの一時間半程度のお話でしたが、まずは子供たちはしっかりと耳を傾け、質問にも答えてくれました。
今回、行った内容は質問を投げかけ、それをノートに書き出してもらうというものです。
質問1.「どうして野球が好きなのか?」
質問2.「どうすれ上達するだろう?」
質問3.「自分の長所と短所?」
質問4.「仲間の良いところ?」
質問5.「どうすればチームは強くなるだろうか?」
質問6.「いつもお世話になっているのは誰だろう?」
質問7.「今年の目標は?」
質問7-2.「その目標を達成するためには?」
といった質問をしました。
すると、面白い結果が垣間見えてきたように思います。子供たちからの答えは省略しますが、明確に親の躾けが見えてきたように思います。本当に野球が好きで好きで、寝ても覚めても野球という子供はほんの一握りでした。
もしかすると、「他人を意識する余り、本当は子供は余り野球は好きではないけれども親の意向でやらせてみよう」、「技術よりも見栄…例えば、グローブやバット、練習着という品物に高額な物を買い込み、親自体が満足している」、「子供の考えを蔑にして親の考え優先で物事を進めているような感覚」等々が子供たちからの答えや言葉から生々しく感じ取ることが出来ました。
また、監督やコーチという年上の人物に対する尊敬や感謝の念が心底想っている子は僅少でした。これは、家庭での躾に尽きるように思えてなりません。けれども、子供たちは素直だからこそ、私自身、このようなことを感じ取ることができたわけですから、そういう意味では、素直な良い子ばかりでした。
家では、本当の自分の姿を出し切れていないのかもしれません。何故、出し切れないのか?というと、親の考えを一方的に押し付けているため、自らの考えを伝える機会を遮られていることが考えられます。それに加えて、自ら考え、判断することなく、いわゆる他力本願となってしまい、責任転嫁などは当たり前のようなことにも繋がっているように思います。
少年団は、誰が頑張るのか?もちろん、子供たちです。その子供たちの活動を支えているのが、指導者や保護者でしょう。ここで、気をつけなければならないことは、子供優先であるのに、いつの間にか保護者が優先となっている本末転倒な事象が起きていることも事実のようです。
我々が、少年野球などをやっていた時代は、親たちが前面に出ることなど考えられませんでした。それだけ、当時の親たちは、自分の子供たちを信用していたということなのでしょう。しかし、今の親の傾向は、自分の子供ありきであって、「どうして、うちの子は試合に出れないのですか?」「練習方法を見直すべき!」「監督を代えた方がいい!」ですとか、まあ、自分が少年団の一員であるかのような子離れできぬ親が増えているようです。
私自身、三人の娘がいます。
長女は吹奏楽を小学校から高校まで続け、全道コンクールやアンサンブルの全道コンクールなど連続9年出場することができました。この時は、我々親は、吹奏楽などの器楽については全くの素人ですから、言うことはなにもありませんでした。それよりも、指導者の先生には根気強く子供たちに向き合い、子供たちの未完能力を見事に育て引き出してもらえたと感謝しています。今では、その経験を活かした仕事に就き、さらに結婚し4人の子供を出産しました。毎日、子育てと仕事にしっかりと向き合っています。
二女は、小学校から大学まで、バレーボールを13年続けました。小学校の時は、チームの全員が素人ですから、指導にあたっていただいた先生には、本当に骨を折っていただいたように思います。コート内では、先生が小学4年生の子供であっても本気で蹴りを入れていました。それを、今の時代、体罰だと言ってしまうでしょう。私は、体罰などとは思いません。先生の愛情を子供たちはしっかりと感じていましたから。子供たちにとって、家庭ではありえないことを身を以て体験できた貴重な時間だったと思います。そして、チームがスタートして二年目には、早速、全道大会出場という結果を出しています。二女は、それ以来、高校まで毎年何かしらの大会で全道大会に出ていたのでした。ここでも、やはり指導者の本気さを子供たちがしっかりと感じ取り、社会人となった今、物凄く活きているように思います。毎日、頑張っています。
三女は、小学校から中学の今まで、吹奏楽を楽しんでいます。今週末は、アンサンブルでの全道大会へ出場することとなり、学年末テスト当日に札幌へ向かいます。中学に入り、指導者の先生の熱い想いを肌身で感じ、娘は、毎日練習後にノートやファイルに課題や反省点を書き出しているようです。聴けば、自分だけでなく、パート全体のバランスや自分の立ち位置なども含めて書いているとのこと。これから先も学生生活がまだまだありますから、常に目標や目的をもって臨んでもらいたいです。言っても無駄ですが…(笑)
実は、ノートなどに書き出す作業は大変重要なことで、これは、自己肯定と同時に問題点の明確化、さらに問題点の解決策を導き出すきっかけとなるのです。このことは、三女が小学2年の時に、「勉強が分からない」と泣きじゃくっていた時に、ノートのことをちらっと話したことがきっかけだったようです。無論、私は勉強を教えるなど出来るはずはありませんから・・・(笑)
話しは、大きく逸れましたが、子供と向き合う時間は18年と考えると、あっという間の短い時間です。子供たちには、極力、多くの選択肢を与えたいものです。様々な可能性を秘めていますから、どんなことでも、きっかけを与えられたらと思います。たった18年ですから、子供と向き合いたいと考えますが、向き合い方を狂わすととんでもない方向に向いてしまうことが考えられます。
私自身、PTAの役員を長年やっていましたから、色々な親御さんとも様々な会話をする機会を得られたのです。また行政書士の仕事に就き、日々、様々な相談ごとを拝聴し、時には反面教師となることもあり、そもそもの親子関係とはについて随分と考えさせられました。それは、今も不変です。函館市内の人口が年々減少している中、小中学校の統廃合が行われていますが、学校教育法上での、小学校、中学校のそもそもの在り方は何だったのか?と思えてなりません。子供たちが遠距離を通学することが、これからすぐ目の前に来ている中、どこかで何かしらの問題提起が為されなかったことに対し憤りを覚えます。なんのための組織なのか。
話しは逸れに逸れましたが、今回の少年団での講話から、多くのことを気づかされました。私自身、親の一人ですが、まだまだ学ぶべきことなどの課題を具現化されました。明日からも、本気で未来の子供たちに何が出来るのかを模索しつつ、日常業務を進めてゆきます。今年の夏頃に何かがある・・・お楽しみに。
JUGEMテーマ:日記・一般
毎年恒例の職業体験のため、市内の中学生たちがやってきました。職業体験は、当事務所を開業した平成17年から始めています。当時、教育委員会から、キャリア教育を盛り上げるために地域の父兄の一人として委嘱された経緯がありました。そもそも、子供たちと接することが好きですから、積極的に子供たちを受け入れてきました。
多い年は、6校から28名という年もありました。当事務所にやってきた子供たちの数は、すでに200名を優に超えています。一番最初にやってきた子供たちは、すでに27歳となり、親になっている子もいます。ここでも、私はお爺ちゃんとなってしまったわけですが、今日、やってきた子供たちは決してお爺ちゃんには見えなかったと言ってくれたのが、本音として嬉しかったですね。(笑)
私は、これからも子供たちのキャリア教育のお手伝いとして出来る限りのことはやらせていただきます。その理由として、少子化と言われていますが、子供たちが社会人となった時、しっかりと職業人として社会生活を送って欲しいこと。それぞれの適齢を迎えた時に結婚して子供をもうけて欲しいこと。社会をまわしてゆくひとりとして、自覚を持って社会に果たすべきことを果たして欲しいこと。
いずれにしても、何事にも積極果敢に挑んで欲しいわけです。決して、ルーティーンではなく、他人のまねごとではなく、自分自身の独自カラーを信じ活かし行動してほしいのです。今日の子供たちは、心優しく、真面目で、冗談もあり、メリハリある子達でした。いいんです、好きなようにやれば。失敗という概念はあるようで無いわけですから、好きなようにやればいいんです。
ひとつのことに集中して極められたら素敵なことです。子供たちは輝いていました。次の職業体験は来月7日です。今から、楽しみですね。
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このブログを書き始めたのは、2006年5月頃だったはずです。今から10年前に遡ります。ということは、私は42歳ですか。若かったなぁ。子供達は長女が高校1年生、二女が中学2年生、三女が3歳でした。そんなに経過していたのかと改めて実感しています。
その子供達も成人を迎え結婚し子供を3人出産、二女は今年就職、三女が中学1年生になりました。
その三女が今日学校での部活動のコンクールがあり見事全道大会へ出場することが出来ました。長女は素晴らしい指導者からのご指導もあり小学5年生から高校3年生までの8年間を連続して全道大会へ行くことが出来たのです。その長女の後を追い小学生から始めました。小学校の時は、指導に当たっていた先生が途中で放棄するという前代未聞の状況になり、随分と悩み困ったものでした。
この事態には随分と私自身悩みました。本当に眠れぬ日が続きました。子供が可哀そうではあったものの、学校は見方を代えるといわゆる密室状態ですから、子供がいくら訴えたとしても、先生であるという権力で握りつぶされたことも随分とあったはずです。当時の小学生たちは今日のコンクールに出場していました。結果は、残念な結果でしたが、出場できたことが何よりも嬉しかったに違いありません。
そんな中、その子供達は我が家の三女に来年はという希望にあふれた声を掛けてくれたようです。子供は、大人の行動をしっかりと見ているものです。大人は大丈夫だと思っていても、それこそ侮れません。しっかりと細かいことまで見ています。いくら親や大人があれやこれやと言ったとしても、納得しなければ素直に飲み込みません。その納得しない状況を力づくで抑えつけようとするのが大人です。子供は、何があってもしっかりと成長するものです。
二女はといえば、小学3年生からバレーボールを始め、指導に当たって下さった先生は、本気で子供の成長を願い、コート内では蹴りが入るくらいでした。一見、あんなに厳しい練習でありながら、辞めると言った子供は皆無でした。親がいようと誰がいようと先生はすっかり子供たちの中に入りきり練習に打ち込んでいました。
体育館が使えないときは、近所の公園で軍手を履かせてのレシーブ練習です。練習が終わると、先生の表情は一変して優しいおじいちゃんの顔に戻るのでした。その成果あってか、小学生のうちから全道大会へ幾度も行き、中学に入るとやはり素晴らしい指導者のおかげで全道大会へ、そして高校でも全道大会へ、大学を卒業するまでバレーボールに明け暮れていました。
それまで、本当にいろいろあったと今になって話しており、そのことを三女に話し伝えて「もっともっと苦労しろ」と言っているようです。その大変さを乗り越えて今があるようです。子供の世界で自力で解決することを育んだに違いありません。
それをどんなことにも手を貸し、あるいは子供を超えて声を出すようなことになると子供自身の立場も何もあったものではありません。親として時には忍耐かもしれませんが、自分の子供を見守る姿勢こそが大切なような気がします。私も、親としての年齢は26歳を迎えようとしています。まだまだ若いわけです。子供と一緒に学び成長出来たらよいでしょうね。