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久々の投稿

 本当に久しぶりの投稿となります。

 今年も年齢がひとつ増え、先月57歳になり、順調に「赤いちゃんちゃんこ」を着用する時期が迫っています。

 さて、今年3月下旬に新外環状線の空港から赤川までの間が開通しました。空港からほど近い場所に自宅があるので、この開通によるメリットを体感しています。

 

 開通日の朝は、いつもの当たり前の静寂な光景でした。ところが、開通時間ともなると、その光景は一変し都会の大渋滞の如く、賑やかな光景へと変貌しました。開通後の新道を函館インターまで走行しましたが、大渋滞によりそのメリットを体感できませんでした。けれども、新道から見える景色は素晴らしく、その時は、その景色を楽しみながら渋滞にはまっていました。

 

 翌日からは、通常の様子となり、北斗市や七飯町から湯川方面などへ向かう場面では、道路による時間的メリットを体感出来ました。時間経過とともに、最近では、メリットとは逆に、インターやランプを降りた際の合流時の危険性を痛感しています。

 

 先月のある日の朝、赤川インター付近に差し掛かった際、軽自動車やオートバイが本線に合流してくるのを約二百メートル手前程から横目で視認し、車を減速した瞬間、オートバイが本線合流と同時に転倒したのです。私は、時速75キロ位で走行しており、転倒を見て、ブレーキを制動し急停止しました。

 

 停止時のオートバイまでの距離が数mまでに迫っていました。後続車が無かったため追突を免れたものの、後から、逃げ場が無かったと冷や汗が出てきたのを思い出します。あの時、車を路側帯に停め、運転者の安否を確認し、転倒したオートバイを移動させ、警察へ通報し、救急車とパトカーを待ち受けました。幸いにも運転者は歩行することが出来ていたのでホッとしました。高速走行をしていると速度に対する慣れが出てきます。

 

 案外気づかぬ、高速道路の恐怖を目の当たりにしたわけで。速度と距離と時間の方程式の重要性を改めて知った次第です。数十メートル、数秒、75キロ…の関係は、やはり、車間距離をとることだと思い知りました。

 

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新外環状線のメリットを感じるにも、まずは、安全運転の励行でしょう。


令和になって初の投稿か

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函館山夕景

(この写真はブログを開始したときのものです。風景は変わらず・・・)

 

元号が令和に変わり、既に3カ月が過ぎようとしています。地元、函館市は、2年後に9億円の税収が減少するとか・・・当然、人口も減り続けており、街中はシャッター街となり久しく、歴史ある老舗のお店は閉店し、函館らしさが薄れつつあることを感じているのは私だけでしょうか。

 

行政書士事務所を開業し、15年目に突入したところですが、世の中は日進月歩と著しい変化があるにも関わらず、どうも、うちの事務所は旧態依然としているような趣で、40台の頃とは異なり、正直年齢を感じているところです。これに負けじと言い聞かせているものの、なかなか結果となって顕れていないもどかしさも見え隠れしています。

 

開業当時の気合や前を見据えての気概は、今も変わらずと言いたいところですが、案外、見落としている何かがあるのかもしれません。原点回帰とひと口では言うものの、なかなか難しい側面があることも事実です。しかし、これで諦めるつもりは毛頭ありません。誰のために、仕事をしているのか?そして、それがどのような効果が表れるのか?このことは昔と何ら変わりはありません。

 

開業から今に至るまで、お会いした方々の人数は、既に20,000人近くに上っています。これは、決して大袈裟な数字ではありません。これ以上の方々はヤマほどいるでしょうから、これからもいつまでこのお仕事を続けられるか分かりませんが、着実に伸ばしてゆく所存です。本気と書いてマジとよぶ・・・このテーマも不変です。

 

挨拶しても、返ってこない・・・そんな士業者にはなりたくありません。気取っていてもなんの得にもなりません。やっているつもりは、あくまで、つもりであって出来ていないことを自覚しなければなりません。目先に囚われず、ずっと先を見ていなければなりません。しかし、死のタイミングは今かもしれませんし、この後かもしれません。いつそのタイミングが訪れてもいいように今をしっかりと本気で生きていなければなりません。

 

自分の気概や気合を高めるためには、やはり日頃の学びは欠かすことが出来ないと改めて実感しています。固定は安定ですが、醍醐味に欠けるでしょう。それよりも、ひとつひとつの物語を完成させるべく、人間らしく過ごしてゆきます。これ、自分自身に対する宣誓です。15年目・・・区切りと考えているあと5年は何が起きるでしょうか?まずは、健康第一ですね。


人は人、自分は自分

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先週の地震から数日が経過しました。自然には逆らえぬことを随分以前にもこのブログに書いた記憶が有ります。特に、今回は北海道内に於いて大停電になったことが挙げられますが、そのことよりも関西では先週4日から現在に至るまで約1万戸弱の世帯で停電がなお続いています。たった、二日ばかりの停電でしたが、それ以上に生活に支障を来たしていらっしゃる方が多数いる事実も忘れてはなりませんね。また、台風や大雨により被害に遭われた地域と人々のことも然りです。

 

さて、先週の停電時には、いわゆるデマが飛び交いました。函館では、午前10時頃から断水とのSNS上での情報が流れ、水を買いに走る方々でごった返したお店もあったとか・・・。ただ、街の中を振り返ると、断水が起きるのであれば、自治体による広報が行なわれるはずが、一向に聴こえてこなかったのです。根拠は何か?と問えば、SNSでの情報だと。では、SNS情報の根拠はといえば…???なわけです。

 

何故?役所に確認もせず鵜呑みにするのだろうか?と疑問を抱きつつ、水道局で行き直接確認すると、役所への問い合わせが余り無いのか担当者は「断水はありません。どこからそのような情報が出たのでしょうね。」と疲れた様子は感じられませんでした。そこから感じたことは、問い合わせが少なかったのではという推測が働きました。

 

仮に、断水が起きたとして、一体何が不都合になるのでしょう。その根本を蹴飛ばして、とにかく水水水と走る人々の姿を見ながら不自然さを感じてしまいました。携帯電話の充電もそのとおりで、いわゆる高齢者にとってはライフラインであるところ、ゲーム機に充電させる保護者、保護者ですよ。ゲーム機はライフラインなのでしょうか。批判ばかりしているように思われるかもしれませんが、余りにも利己的過ぎやしないかと情けなくなってきたのです。

 

仮に、携帯電話が繋がらなかったとして、どんなことが不都合でしょうか?

それであれば、足を使うしかないわけです。私が、小さい頃には計画的な停電や断水がありました。当時はライフラインを敷設する作業のためかと思います。突然の停電や断水が起きることで、物事の本質を忘れ、我先にと急いでしまい、その結果、余剰の水を捨ててしまうなどのことが起きたりするわけです。本末転倒です。

 

とはいえ、人間にとって水は不可欠な要素です。これは本当に生きるか死ぬかの問題になるわけですから、日頃からの気構えが大切なのでしょうね。何だか、支離滅裂になってしまいましたが、物事の本質を見極めた上での行動が望まれるのではないのでは?と思った次第です。最終的に生命を維持すること。そのために何が優先順位かを普段から想定しておく必要が有りそうです。


終活(自動車編)・・・高齢者ドライバーへの交通事故予防活動

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昨夜の台風は物凄い風でした。午前3時に目が覚め、いつ我が家の屋根が飛ばされてしまうのかという不安もありテレビの天気情報に見入っていたのでした。お蔭様で日中はどんよりするかと思えば、仕事の依頼等々の電話が鳴り響き、さらに外勤が続き眠気を催すタイミングを逸してしまいました。

 

当事務所は、今月20日に移転開業する運びとなりました。その移転準備も並行してですから気が休まるはずもなく、また、私自身の性分も手伝い、さらに気が休むような状態にいつになるのかという状況に自ら向けてしまっています。

行政書士業務の延長線上で、避けられぬ相続や遺言業務は年々増加しています。相続の実際を故人宅へ出向き、様々なご相談を受け、また、時にはいわゆる遺品整理の前段階のお手伝いを度々行ってきています。

 

その現場で目にする書類や家財など、故人が大切に大切に扱っていた物から故人のお人柄が見えてくるものです。ただ、中にはどうして生前のうちに何かしらの手続きを行えなかったのかといった、故人に代わっての後悔を体感することも少なくはありません。この実際や実態を目にすると、今、巷で流行然としている「終活」の要否が見えてくるものです。

 

ところが、終活という文言が独り歩きし、商売的な内容でいわゆる営業している方々が存在し、無用のトラブルを引き起こしているという苦情のような内容のことを介護施設や医療機関で耳にしています。終活は、終末活動の略のようですから、私自身、しっくりこないのが本音です。しかし、生前中に自らの考えを根拠に様々な整理を進めてゆくことに対しては、全く否定する余地はありません。

 

余り用いたくはない終活という語句ですが、どうせ用いるのであれば、別な視点からの終活を考えてみてはどうかということになりました。終活は、終末期を安心して健康的に生きてゆくための活動と読み替え、自己の思考と意思でもって自信を持って行動すると定義づけてみました。

 

私自身、仕事でどうしても避けられないことな何かといえば自動車運転です。年間約3万キロ超の走行距離を自動車と共に移動しているのです。走行距離が長ければ長いほど、あるリスクは増えてゆきます。そのリスクとは、交通事故に尽きるでしょう。自ら引き起こす事故、また、他車からのもらい事故、事故の形体は様々ですが、そのリスクは不可避です。

 

私が、免許を取得した頃の自動車事情と今とでは随分と変わってきています。狭い幅員の公道で夜になるとゼロヨン合戦が繰り広げられ、ほんの少しだけ出場したことがありました。ところが、今は、そのようなことは全くなく、陰湿な事故が増えているように思います。また、人口に対する高齢者比率が格段と上昇しており、高齢者による事故が増加しているのでないでしょうか。

 

自動車運転者の責任について、今一度、おさらいすると行政上、民事上、刑事上の責任が課せられるということでしょう。しかし、現実はというと疑問符がついてしまうことがあるのですが、最終的には、事故を起こした人間は、偶発的ということはそうそう考えられないと思います。私自身、ゼロヨンを想い出しながら、自己満足の世界→他人よりも自分→自分さえ良ければ→結果的には身勝手という図式が成り立ちそうです。

 

話しは少し逸れてしまいましたが、今回、事務所移転を契機に、移転後三日目にイベントを企画しました。内容は、現代社会における高齢者ドライバーのこれからの自動車運転の在り方と、万が一、交通事故が起きた場合に自動車本体により事故被害を軽減し、事故予防のための装備を、実際の自動車に試乗して体感し知ってもらうというものです。

 

運転免許を返納すれば終活完了ではありません。函館は完全なる車社会ですから、どうしても自動車に頼らざるを得ない高齢者がたくさんいることも事実です。そのような方々に強引に免許返納を推し進めてしまったらご本人たちの生活はどうなってしまうのかという現実も考えなければならぬことと思います。決して返納を否定するものではなく、また、高齢者の運転を推奨するものでもありません。

 

要は、事故を起こしてからではすべてが台無しになってしまいます。そうならぬよう予防できることは積極的に行動に移し、自分自身が運転は辞めようとなれば返納すれば良いわけです。あくまでも、健康的な生活をおくるための一部と位置付けて、今回は、サポートカーやサポートカーSなどの自動車について知識を深めてもらうのと同時に、改めて自動車運転に当たっての交通事故予防についての注意喚起を図るものです。

 

9月22日土曜日の午後2時から午後4時までの二時間、新事務所(函館市杉並町13番12号)横の駐車場敷地内で開催します。試乗を行うため、人数は15名の限定とさせていただきます。

また、今回のイベントは、函館中央警察署交通課様、自販連様、ネッツトヨタ道南様のご協力のもと開催する運びとなりました。このようなイベント企画は行政書士事務所としては、全国でもあまり例を見ないのではないかと思います。

 

そして、このイベントを契機に、当事務所の会議室スペースを手狭ではありますが、今後は地域のコミュニティースペース、様々なセミナー会場、また、地域で活躍されている工芸や写真、絵画といった展示の場にしてゆければと思います。会議室横には本格的な二層シンクとコンロを備えておりますので、時には、「杉並カフェ」として皆様にご利用いただけると幸いです。いずれ、保健所での飲食店営業許可を取得する予定です。なんだかゾクゾクしてきます。

 

今後、新事務所ではこれまで以上に様々な活動を目指し、地域の皆様にとって不可欠な存在となれるよう鋭意努力してまいります。

 

 


久々の投稿となります。

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大変お久しぶりです。来月中旬に事務所を、今の神山町から杉並町へ移転することになりました。これが最後の移転となることでしょう。さて、函館市の人口はついに26万人を割ってしまいました。一世帯あたりの構成人員は1.81人/世帯となり、年々減少しています。この数字が物語っていることのひとつに、単独世帯数が増えていること。ということは、お一人さま世帯割合が増加しているということにまります。

 

函館市内の各町別での世帯人員が多いところは、桔梗方面です。ここは、子供達が占める割合が高く子育て世帯が多いということになりますね。一方、少ないところは西部方面です。最も少ないところは、確か1.4人/世帯だったはずです。そうなると、例えば、町内会活動にも支障を来たすことになり、子供たちといえば学校の統廃合による通学への影響が大きくなっていると推測できそうです。

 

先日の新聞の中で、「コミュニティースクール」を市内の全ての学校に取り入れるということが載っていました。学校、家庭、地域が連携して学校運営に当たるという内容だったはずです。以前から地域連携は課題のひとつであり、既に昔からの連携がある地域、また、宅地造成が大規模で行なわれた新しい地域があるなど、それぞれの地域特性が潜在しています。

 

今後、この制度を取り入れるに当たり、各町内会での地域土壌が醸成されていることが望ましいはずですが、私の仕事柄、お客様との会話から町内会組織の在り方に疑問をもたれている方が増えていることや会員自体が減少の一途を辿っていることなどを鑑みると、果たして、円滑な地域連携が可能なのかと考えてしまいます。

 

他方、学校と家庭の連携については、学校教育法が制定されてから、PTA組織が全国的な広まりを見せ現在に至っていますが、個人的には形骸化している感は否めません。少子化に伴い、PTA会員はそれに比例して減少しているわけですから、旧来の行事運営を継続させることは困難な場面に直面することが事実起きているようです。

 

組織の上に上納組織があることなど、各単位PTA会員自体がそのことを認識している方は大変少ないことも事実です。全ての学校とは言いませんが、PTA組織自体に疑問を抱きながらも止む無く会費を納めている方もいるなど、組織自体が形骸化、また、PTAは役員の懇親の場と断言している親御さんも多数存在しているわけです。これはしっかりと根拠を持った話ですから、ここに書くことが出来るのです。

 

個人的には、今一度、PTA組織の在り方を再確認し不要な組織はスリム化するなどの方法をとる必要があると思います。その上で、文科省が目指しているコミュニティースクールの意義目的をしっかりと深めなければ、それこそ画餅となりかねませんね。何故?コミュニティースクールが必要なのか?何故、町内会が必要なのか?何故、PTA組織が必要なのか?の存在意義が問われている気がします。

 

ところで、我が娘は来年3月に義務教育を終了するのですが、この3年間、特に問題なく学校生活を送っているように思います。そりゃ、子供といえども人間ですから、時には悩み困り泣き叫ぶようなこともありました。けれども、親が神経質になることなく子ども自身の解決能力の醸成と成長を信じ放任してきました。人間の成長過程の中では、避けては通れぬ障壁が必ず現れてきます。それは、成長過程であるから当然のことであり、自ら困窮しなければ気づかないわけです。

 

そのことを、親が先行してしまうと子供が社会に出たときに、自ら考え行動する人間にはなれないはずです。このことを経済効果で考えると、多大な損失になっているはずです。数字は心の現われですから、心と数字は気っても切れない関係なはずです。私自身、まだまだ年齢ばかり年を食っていますが発展途上段階です。子供には勉強しろとは無責任には言いたくはありません。まずは、私自身が自ら学び考え行動することを実践することが先決です。


西日本の豪雨

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ここ最近、太陽を目にすることがありません。今週いっぱいは曇りや雨の予報が出ています。函館の代名詞である「いか」は水揚げ量が前年に比べ壊滅的な減少のようです。自然環境が変化してきた結果なのかもしれません。海水温の上昇等から海流が変化し、また、気圧が不安定となり気候への影響が起きているのかもしれません。専門家ではありませんから断定的なことは言えないのですが・・・

 

今、西日本では豪雨による被害が甚大な状況となっており、知人にも連絡をとり安否の確認は取れたものの、その知人が被害をうけているなど一概にホッとできるような心境にはなれません。北海道内でも雨による被害が発生しており、決して他人ごとでは済まされません。今、何が出来るだろうかと模索しているところです。

 

本当に一体何が出来るのだろう。今の職を通じて・・・。目先のことばかりに捉われ、本来を見失うことがままあったりするのですが、そんな時こそ原点回帰に尽きるわけです。今の行政書士という職業で何が出来るのかを休み中も模索していました。考えているくらいなら行動を・・・というのがポリシーです。そこで、思わぬ方向に向かったとしても、新たな発見が見つけることが出来る可能性が大なのです。

 

そう考えると、まずは行動に尽きるわけでボヤっと考える時間があるのなら、やはり行動です。ということで、早速、明日気になっている東広島市の知人へ連絡することにし、そこから何かしらの行動を起こします。足手まといにならぬように・・・ですね。


予測

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おはようございます。今年の函館地方は例年にないくらいの大雪に見舞われています。道路は狭まり、轍が出来、終いには路肩側が高くなるという状態です。いつもどおりのなれている道ですが、この状態でいつもどおり走行できるかというと難しいはずです。ところが、いつもどおり走行してきてトラブルめいた状況を幾度も目にしました。

 

予測とは、「予め測る…」という文字です。この予めがなかなか難しいのでないかと思うのです。予めを拡げるには、やはり、様々な実践の積み重ねに於いて徐々に拡がってくるのではないでしょうか。紆余曲折し、ある結果が導かれ、それに対してどうだったのかと総括し、その積み上げから、予めの測りが100ではありませんけれど、限りなく近くなってゆくように思います。

 

一方、測るとは、これもやはり予めと同様で普段の実践の積み重ねによるものと思います。予め測ることが少しでも拡がれば、無用なトラブルをこちら側から避けることは可能ではないかと・・・。最近では、権利意識の高まりは大切であるものの、どうも秩序が乱れてしまい、時には、命よりも組織や自らの立場を優先に考えてしまっているような場面を目にします。

 

そもそもの、本旨、目的はどういったことなのか?その目的を達するにも、やはり予測は不可欠でしょう。かく言う、私自身、反省です。今日も大荒れの天候ですが、自らの意識を有にすることで、事故等を回避できる気がします。まずは、自己を知ることこそが第一でしょうね。荒れた冬道を走りながら、おぼろげに頭の中を駆け巡っていたことを感じたままに表してみました。


少年団の講話にて

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先日、函館市内のスポーツ少年団の子供たちに向け講話をしてきました。悪天候にも関わらず団員の8割ほどの子供たちが集まってくれました。ほんの一時間半程度のお話でしたが、まずは子供たちはしっかりと耳を傾け、質問にも答えてくれました。

今回、行った内容は質問を投げかけ、それをノートに書き出してもらうというものです。

 

質問1.「どうして野球が好きなのか?」

質問2.「どうすれ上達するだろう?」

質問3.「自分の長所と短所?」

質問4.「仲間の良いところ?」

質問5.「どうすればチームは強くなるだろうか?」

質問6.「いつもお世話になっているのは誰だろう?」

質問7.「今年の目標は?」

質問7-2.「その目標を達成するためには?」

といった質問をしました。

 

すると、面白い結果が垣間見えてきたように思います。子供たちからの答えは省略しますが、明確に親の躾けが見えてきたように思います。本当に野球が好きで好きで、寝ても覚めても野球という子供はほんの一握りでした。

 

もしかすると、「他人を意識する余り、本当は子供は余り野球は好きではないけれども親の意向でやらせてみよう」、「技術よりも見栄…例えば、グローブやバット、練習着という品物に高額な物を買い込み、親自体が満足している」、「子供の考えを蔑にして親の考え優先で物事を進めているような感覚」等々が子供たちからの答えや言葉から生々しく感じ取ることが出来ました。

 

また、監督やコーチという年上の人物に対する尊敬や感謝の念が心底想っている子は僅少でした。これは、家庭での躾に尽きるように思えてなりません。けれども、子供たちは素直だからこそ、私自身、このようなことを感じ取ることができたわけですから、そういう意味では、素直な良い子ばかりでした。

 

家では、本当の自分の姿を出し切れていないのかもしれません。何故、出し切れないのか?というと、親の考えを一方的に押し付けているため、自らの考えを伝える機会を遮られていることが考えられます。それに加えて、自ら考え、判断することなく、いわゆる他力本願となってしまい、責任転嫁などは当たり前のようなことにも繋がっているように思います。

 

少年団は、誰が頑張るのか?もちろん、子供たちです。その子供たちの活動を支えているのが、指導者や保護者でしょう。ここで、気をつけなければならないことは、子供優先であるのに、いつの間にか保護者が優先となっている本末転倒な事象が起きていることも事実のようです。

 

我々が、少年野球などをやっていた時代は、親たちが前面に出ることなど考えられませんでした。それだけ、当時の親たちは、自分の子供たちを信用していたということなのでしょう。しかし、今の親の傾向は、自分の子供ありきであって、「どうして、うちの子は試合に出れないのですか?」「練習方法を見直すべき!」「監督を代えた方がいい!」ですとか、まあ、自分が少年団の一員であるかのような子離れできぬ親が増えているようです。

 

私自身、三人の娘がいます。

 

長女は吹奏楽を小学校から高校まで続け、全道コンクールやアンサンブルの全道コンクールなど連続9年出場することができました。この時は、我々親は、吹奏楽などの器楽については全くの素人ですから、言うことはなにもありませんでした。それよりも、指導者の先生には根気強く子供たちに向き合い、子供たちの未完能力を見事に育て引き出してもらえたと感謝しています。今では、その経験を活かした仕事に就き、さらに結婚し4人の子供を出産しました。毎日、子育てと仕事にしっかりと向き合っています。

 

二女は、小学校から大学まで、バレーボールを13年続けました。小学校の時は、チームの全員が素人ですから、指導にあたっていただいた先生には、本当に骨を折っていただいたように思います。コート内では、先生が小学4年生の子供であっても本気で蹴りを入れていました。それを、今の時代、体罰だと言ってしまうでしょう。私は、体罰などとは思いません。先生の愛情を子供たちはしっかりと感じていましたから。子供たちにとって、家庭ではありえないことを身を以て体験できた貴重な時間だったと思います。そして、チームがスタートして二年目には、早速、全道大会出場という結果を出しています。二女は、それ以来、高校まで毎年何かしらの大会で全道大会に出ていたのでした。ここでも、やはり指導者の本気さを子供たちがしっかりと感じ取り、社会人となった今、物凄く活きているように思います。毎日、頑張っています。

 

三女は、小学校から中学の今まで、吹奏楽を楽しんでいます。今週末は、アンサンブルでの全道大会へ出場することとなり、学年末テスト当日に札幌へ向かいます。中学に入り、指導者の先生の熱い想いを肌身で感じ、娘は、毎日練習後にノートやファイルに課題や反省点を書き出しているようです。聴けば、自分だけでなく、パート全体のバランスや自分の立ち位置なども含めて書いているとのこと。これから先も学生生活がまだまだありますから、常に目標や目的をもって臨んでもらいたいです。言っても無駄ですが…(笑)

 

実は、ノートなどに書き出す作業は大変重要なことで、これは、自己肯定と同時に問題点の明確化、さらに問題点の解決策を導き出すきっかけとなるのです。このことは、三女が小学2年の時に、「勉強が分からない」と泣きじゃくっていた時に、ノートのことをちらっと話したことがきっかけだったようです。無論、私は勉強を教えるなど出来るはずはありませんから・・・(笑)

 

話しは、大きく逸れましたが、子供と向き合う時間は18年と考えると、あっという間の短い時間です。子供たちには、極力、多くの選択肢を与えたいものです。様々な可能性を秘めていますから、どんなことでも、きっかけを与えられたらと思います。たった18年ですから、子供と向き合いたいと考えますが、向き合い方を狂わすととんでもない方向に向いてしまうことが考えられます。

 

私自身、PTAの役員を長年やっていましたから、色々な親御さんとも様々な会話をする機会を得られたのです。また行政書士の仕事に就き、日々、様々な相談ごとを拝聴し、時には反面教師となることもあり、そもそもの親子関係とはについて随分と考えさせられました。それは、今も不変です。函館市内の人口が年々減少している中、小中学校の統廃合が行われていますが、学校教育法上での、小学校、中学校のそもそもの在り方は何だったのか?と思えてなりません。子供たちが遠距離を通学することが、これからすぐ目の前に来ている中、どこかで何かしらの問題提起が為されなかったことに対し憤りを覚えます。なんのための組織なのか。

 

話しは逸れに逸れましたが、今回の少年団での講話から、多くのことを気づかされました。私自身、親の一人ですが、まだまだ学ぶべきことなどの課題を具現化されました。明日からも、本気で未来の子供たちに何が出来るのかを模索しつつ、日常業務を進めてゆきます。今年の夏頃に何かがある・・・お楽しみに。


出張にて

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先週、久しぶりに広島へ出張してきました。広島市内は、当然、県庁所在地ということもあり活気づいているように思われ、市電の利用者は函館の比ではなく、車社会と思えば、どうもそうではなく電車社会といえそうです。広島市内に宿泊し、その晩、一人でホテルの近所にある料理店へ行ってみると、そこにも地元客がわんさと訪れていたのです。地元民がしっかりと根付いている証なのでしょう。それは、どこを歩いても地域を愛してやまない地元民の姿があり、どこか羨ましい気持ちで眺めていた自分がいたのです。

 

広島の翌日は、尾道へ行き、久しぶりに旧知の知人と再会を果たし、元気な姿を見ることが出来ホッとしたのです。また、尾道へ行くと必ず顔を出す海鮮料理のお店も混雑を極めていたのですが、ママは席を調整してくださり、そのお気遣いにはどこか心が痛くなるほどの歓迎を受けたのでした。それはそれは、有り難い瞬間でした。

 

今、尾道は箱庭的都市という呼び名で、古くからの歴史的な遺産を今でもこよなく地元民の皆様が愛してやまない街として、活気づいているようです。事実、尾道駅へ降り立ったとき、以前の駅舎が解体されていることを知らず、仮駅舎から出てきたのですが、聞けば、JR西日本が全ての費用負担によって建て替え工事が行われているとのことでした。

 

北海道では考えられないことが、実際に起きており、いかに、各町を大切にしているかを垣間見たような気がしました。そこには、人が集まり、地元の市民も何かしらの活動を積極的に行い、街全体のうねりを感じることが出来ました。古くからのものを大切にし、新たなものを受け容れつつ、そもそもの文化を発展させるような、そんな動きではないかと思い、街中を短時間ではありましたが、歩いてきました。

 

人を大切にし、街を大切にし、お互いを尊重し、という気風がそこには備わっているのかもしれません。隣の芝生は綺麗に見えるとの比喩がありますが、果たして、それはどうなのだろうと思います。現在、高齢化社会の波が押し寄せていますが、高齢者だって、当たり前の人なのであって、全てが弱者とは言えないはずです。

 

今こそ、お互いを敬い尊ぶという、人権尊重の考え方こそ、必要不可欠というよりも当たり前に備わっていなければならないと自戒しながら、函館に戻ってきました。もっともっと、それぞれが自分のカラーを自信持って打ち出して、それを自分以外の方が受け容れるような街になればどんなにか犯罪等々が減るのではと思うのです。

 

毎日、事務所には様々な相談ごとが持ち込まれますが、年々、難しい内容の話題が増えつつあります。しかし、難しい内容の大半は人と人との関係が円滑になっていれば、難しいという言葉を用いなくて済むのです。明日も、朝から予定が埋まっています。日々、出会う様々な事象から学び得ることがあるという視点でさらに探ってゆきます。


職業体験20171026

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 毎年恒例の職業体験のため、市内の中学生たちがやってきました。職業体験は、当事務所を開業した平成17年から始めています。当時、教育委員会から、キャリア教育を盛り上げるために地域の父兄の一人として委嘱された経緯がありました。そもそも、子供たちと接することが好きですから、積極的に子供たちを受け入れてきました。

 

多い年は、6校から28名という年もありました。当事務所にやってきた子供たちの数は、すでに200名を優に超えています。一番最初にやってきた子供たちは、すでに27歳となり、親になっている子もいます。ここでも、私はお爺ちゃんとなってしまったわけですが、今日、やってきた子供たちは決してお爺ちゃんには見えなかったと言ってくれたのが、本音として嬉しかったですね。(笑)

 

 

私は、これからも子供たちのキャリア教育のお手伝いとして出来る限りのことはやらせていただきます。その理由として、少子化と言われていますが、子供たちが社会人となった時、しっかりと職業人として社会生活を送って欲しいこと。それぞれの適齢を迎えた時に結婚して子供をもうけて欲しいこと。社会をまわしてゆくひとりとして、自覚を持って社会に果たすべきことを果たして欲しいこと。

 

いずれにしても、何事にも積極果敢に挑んで欲しいわけです。決して、ルーティーンではなく、他人のまねごとではなく、自分自身の独自カラーを信じ活かし行動してほしいのです。今日の子供たちは、心優しく、真面目で、冗談もあり、メリハリある子達でした。いいんです、好きなようにやれば。失敗という概念はあるようで無いわけですから、好きなようにやればいいんです。

 

ひとつのことに集中して極められたら素敵なことです。子供たちは輝いていました。次の職業体験は来月7日です。今から、楽しみですね。

 



 

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